しばらく前に、「最後の言葉」という本を読んだ。
重松清さんと渡辺考さんの共著というかたちをとっているこの本は、NHKのハイビジョンスペシャル「最後の言葉~作家・重松清が見つめた戦争」というタイトルで、ドキュメンタリー放送をされたものの、いわばメイキングブックである。
第二次世界大戦の激戦地に日本軍将兵が遺した膨大な手紙や日記、手帳が見つかった。六十年の時を越え、彼らが伝えたかった言葉は遺族のもとに届くのか?
そんなことが、文庫版の裏表紙に書いてある。
そうしてこの裏書きは、決して間違っていない。事実だけをなぞると、この本はそういう本である。
でもなんていうのだろう。
言葉というのは難しい。とてもとても難しい。
それだけではない。それだけでもない。
どうしたらいいのだろうか。
私がこの本を読みながら絶えず思っていたのはそのことで、
そうしてそれは、幼少のころから連綿と、漠然と、ときにははっきりとしたかたちをもって私のなかに巣食う、信念にちかい感情である。
まずは戦争について語ろう。
私の個人的な戦争について。
重松清さんと渡辺考さんの共著というかたちをとっているこの本は、NHKのハイビジョンスペシャル「最後の言葉~作家・重松清が見つめた戦争」というタイトルで、ドキュメンタリー放送をされたものの、いわばメイキングブックである。
第二次世界大戦の激戦地に日本軍将兵が遺した膨大な手紙や日記、手帳が見つかった。六十年の時を越え、彼らが伝えたかった言葉は遺族のもとに届くのか?
そんなことが、文庫版の裏表紙に書いてある。
そうしてこの裏書きは、決して間違っていない。事実だけをなぞると、この本はそういう本である。
でもなんていうのだろう。
言葉というのは難しい。とてもとても難しい。
それだけではない。それだけでもない。
どうしたらいいのだろうか。
私がこの本を読みながら絶えず思っていたのはそのことで、
そうしてそれは、幼少のころから連綿と、漠然と、ときにははっきりとしたかたちをもって私のなかに巣食う、信念にちかい感情である。
まずは戦争について語ろう。
私の個人的な戦争について。