奥多摩のほうに行ってきた。

恋人が会社をつくってから、家のまわりをぶらぶらする以外は外出らしい外出はほとんどしていなくて、
もちろんこうなることはわかっていたからさして不満もなく残念に思うこともなかったのだけれども
恋人としてはどこかに連れて行きたいという気持ちはずっと持っていてくれていたらしい。

夏休みに、ほらあの店にいこう、と恋人が言ったので、それがよくわかった。

引っ越したばかりだからもう3ヶ月ほど前になるだろうか。
雑誌をぱらぱらとめくっていたら、あおあおとした深い山のなかにある喫茶店が目に留まり、ここ素敵だね行ってみたいねと恋人に、なんの気なしに見せたことがある。
ほんまやなあ、仕事がちょっと落ち着いてきたら行こうかとそのとき恋人はいっていて、
あの店、というのはその店のことだ。

奥多摩のすこしだけ手前、鳩ノ巣というところにあるちいさなお店。

土曜日の昼過ぎに家を出て、青梅特快という電車にのる。
びゅんびゅんと行き過ぎるまちまちを眺め、青梅駅に着き、そこからさらに各駅停車に乗り換えて、今度はのんびりとすすむ。
おなかが空いたので途中の駅でいなりずしと焼きおにぎりを買って、ふたりで分けて食べる。
そうこうするうちに途中から明らかに山のなかにわけいっていくという風景になり、しばらく乗って、ようやくと目的の駅に着く。

初めて降りる駅。
こっちかなあっちかなとふたりでいいあいながら、
渓谷にむけて降りていき、歩くこと10分くらいだろうか。
やっと目的の喫茶店にたどりつく。

渓谷とつり橋が見えるお店。
ふたりでカレーを食べて、恋人はくずもちを、私はコーヒーをそれぞれ頼み、
ぜんぶ半分ずっこしながらのんびりと時間を過ごす。

深い、深い緑だ。
ずいぶんとしたの谷では、キャンプ客だろうか、流れと戯れる声がする。
気持ちがいいねと私がいうとそうやなあと恋人がこたえる。
なんだか遠足にきたみたいだねとつけたすと、ほんまやなあと恋人がこたえる。
静かな時間。ときおり吹き込むここちよい風。

つり橋を渡ってみよう?といったら、ええやんええやんというので、ふたりでつり橋をわたる。
高いところは結構怖い。揺らしちゃだめだよといったら、少し先を歩く恋人はふざけたふりをしながらずんずんと歩いていく。

このひとのせなかをずいぶんたくさん見てきた。
どんなところにいたって私はああいつものせなかだ、と思うと安心する。
すこし猫背のおおきなせなか。

夜は奥多摩までさらに足を伸ばして、花火大会を見る。
ほんとうは温泉に入ってから行くつもりだったのだけれども、どこもいっぱいでお風呂には入れない。
代わりにおまつりの屋台をたくさんひやかして、烏賊のげそ焼きや大判焼きやお好み焼きやかき氷や、そんなものをたくさん買って、特等席だよ、と街のおじいさんに教わった橋げたに持っていったシートを広げて、恋人はごろりと横になる。
私はとなりで本を読んだり、沈んでいく夕日を眺めたりして過ごす。

多摩の山にあがる花火は、こじんまりとしていて、けれどとても美しくて
ここの花火はすごいねいいねと恋人と何度もいいあう。
ぽんぽんと少しずつあがるちいさな花火。

しばらく前に。花火をみにいきたいなとぽつりと言っていたのをきちんときいていて
こっそりと花火大会を調べていた恋人を。
私はちゃんと知っている。

いつだって恋人は私の願いをきちんとかなえようとしてくれていて
いますぐにはできないこともいつかは必ずかなえてくれることに
いつだってなっているから
私は安心してそばにいることができる。

自分ひとりでさっさか先に行くようでいて
私はいつもせなかを追うようでいて
それでいてうしろに私がいることをこのひとはいつだってきちんと知っている。
だから私は恋人のせなかをとてもいとしく今日も思う。


せなか