子どものころは何度も家出をした。

母に怒られた腹いせに家出をすることが大半で、
よし、ひとつだれもしらない遠い世界に船出してみよう、というような、大志を抱いたものは稀だったように思う。

怒られるというのは子どもの専売特許みたいなもので
だからしょっちゅう怒られてはいるわけだ。
それでも家出をしてやるぞというほどの気がまえになるというのは、なにかしらその怒られ方や理由に、いつにない理不尽さ・・・それはおとなになったいまだからこそわかる、おとなだって別に毎日公平で平静な気持ちでいるわけではないという…を感じてしまうような怒られ方をしたときに、おそらくは、こんな家にいてやるもんか!というようなことになるのだろう。

ひとつ上の兄がとてもやんちゃな種類の子どもで母にしょっちゅうひっぱたかれていたせいで、私は子どものころから親に怒られないように、気に入られるように生きていく術に長けていた、いやらしい子どもだった。
(まあこれがおとなになった私の最大の欠点であり諸々の元凶であると自負する源のようなもの、を、作り出したわけでもある)

それでもときたま、おとなの理不尽さを真に受けて、だからこそ家出をした。
小学校の校庭の隅にある土管のなかにこもったり、
てくてくと河原のほうまで行って、隣の町の近くまで歩いたり、
あてどなどなくて、とりあえず右左右左と順番にずっと田舎道を折れ曲がってみたり。

家出も度重なると知恵がついてきて、身一つで出るよりはお腹が空いたときのためにとおかしを持って出たりする。
おかしというのがまた子どもらしいアイテムで、思い出すとほほえましい。

しかしどんなに勇んで家出をしたところで、
夕闇が迫ったり、隣町に入るという道標を見たりすると、急にひるんで家出はとりやめになる。

そそくさと、あるいはこっそりと家に帰ると、
たいてい家出の元である母は家出をしていたことすら気づいていなくて張り合いがない。

そういえば。
家出を成し遂げた子どもというのは現実にいるのだろうか。
家出のまま家を出てしまった子ども。
それも、東京で一旗あげようといったような動機ではなくて、
私が繰り返していたような、他愛もない家出の延長のままで。

一度か二度、よしこれはひとつ遠くの世界で生きていこうと決意を固めて
家出をしたことがある。

夏の暑い日にその家出は決行された。
お気に入りの籐でできたピクニックバスケットに、ガムやら飴玉やらビスケットやら、家にあった好きなおやつをこっそり詰め込んで、自転車に乗って旅に出た。

そう、あの日私は、家出でもあり、旅に出るという気持ちでいっぱいだったのだ。

しかし自転車で、というのがなんともかわいらしいところなのだが、
私の田舎には公共の乗り物というのがほとんど存在しないので仕方ない。

行き先は日本海と決めていて(長野の北のほうでは、海といえば日本海である)、
とりあえず千曲川沿いをずっと下ればその先に信濃川があって、その先に日本海があるということで、
あまりひとや車が通らない千曲川の土手の道をひたすらと自転車で漕いでいく。

きこきこ。きこきこ。
長野とはいえ夏は暑く、炎天下の自転車である。
アイスが食べたいなあと思ったけれど、無駄なことにお金を使ってはならないと歯を食いしばった。
(こんな細かいところを憶えているなんておかしいけど)

数時間漕いだだろうか。
もうだいぶ家からは遠ざかり、夕方に近づいてきていた。
次の橋の袂で休憩をしようかと、大きな橋に近づくと、そこは以前家族でドライブをしていたときに、母が「この橋のあたりで、高校生のときにお父さんと初めてデートしたんだよ」と教えてくれた橋だった。

そんなことを思い出しながら川をのぞいているうちに、
決して家が恋しくなったわけではないのだが、
海に行くことはどうでもよくなってきて、
それよりも、お父さんとお母さんが初めてデートをした場所に、今日ひとりで行ってきたんだよと母にいうことのほうに価値があるように思えてきて、そのまま自転車でまた家に帰ったのだった。数時間かけて。

家に帰って報告をすると、母は格段驚いたふうでも嬉しそうでもなく、あそうなの?というようなことを言ったように記憶している。
どうもそのあたりから曖昧だ。
それとも家族みんなで食べる夕ご飯の席で今日の冒険譚を大々的に報告し、母からはまた両親の高校時代の話、がいつものように披露されたのだったか。

そういえば高校生のときに、授業を抜け出して同級生の男の子と高校の近くをデートしていたら、例の両親が初めてデートした場所、という川べりにいつのまにか出たことがある。
父と私は同じ高校なのだ。なんてことはない、そこは高校の学区域で、家からそう滅茶苦茶遠くもない場所だったのだ。
子どもの家出なんて得てしてそんなものなんだなあと、そうして私も両親と同じように、ここでデートしちゃってるなあと、そのとき思ったのだった。