暑い日が続く。

今日は会社はお休み。
恋人も今日は昼出社だというので、
のんびりと朝ごはんを食べる。

好きなひととのんびりと朝ごはんを食べることを
私はこんなにも欲していたのだなあということを
今朝のごはんを食べながら思う。

ここのところずっと会社に行っていて、
そうしてふとまた行かない日があると、
やっぱりいまの私にとっては、会社に行かないことが幸福であるのだということを
痛感してしまう結果になる。

だれしも好きなことだけをして生きているわけではないけれど
たとえば好きなことをして生きているひとが数人でもいるならば
私はその数人の人間でありたい。

確か10年ほど前に、だれかにいったことばだ。
自分でもよく憶えている。
だれにいったかはさだかではないけれど。

なんて傲慢な。
厚顔無恥な。ことばだろう。

でも今日ふとそのことばを思い出して
これまでのたった10年の仕事人生のなかで
私はいつだってそれを実践してきたのだということに気付く。

ただ訂正するならば、「好きなことだけ」ではもちろんなく、
「総じて好きなことだけ」であるけれども。

大変なこともつらいこともたぶんすごくあったのだ。
だいたいにして、好きなことを好きなようにやるポジションを手に入れ続けるのは
そう簡単なことではない。
他者からみたら、頑張っているとか仕事してるとかいうふうに思われるようなことをたくさんしてきたのだろうとも思う。
実際に昔一緒に働いていた後輩と飲みにいったりすると「ナオさんは仕事しか興味がないと思っていました」と驚かれたことも一度や二度ではない。
そんなに仕事仕事していたつもりは毛頭ないのに。

おそらく「努力」だの「頑張り」だのと形容されるようなそれらは、私にとっては「好き」に紐づくことで、きらいなことではなかったのだ。
きらいなことと大変なことは全然違う。
だいたい「好き」なことを「努力」するとはいわないだろう。
本を読むのが大好きなひとにとっては、1日1冊本を読むことは努力ではないのだから。

そうしてたった1ヶ月会社を休んだことで
私の会社とか仕事の価値観、というか、私自身における会社や仕事の役割は
見事に激変してしまった。
きらい、まではたぶんいかない。
でも好きな場所ではなくなってしまった。
苦手。そう、苦手くらいな感じ。

こんなことになるなんて。本当に思わなかった。
それとも会社を休んだことはただの背中押しであって、
もしかしたら歪というのは出始めていたのかもしれない。
もっと前から。ずっと前から。

ただ毎日毎日忙しくて。
忙しくて忙しくて忙しくて。
歪みがではじめていることに気がつかなかっただけなのかもしれない。

それに気付いたのは幸せなことなんだよというひとが何人かいて
そんなものなのかなと思う。
そうしてそういってくれるひとたちはたいていみんな、私の目から見たら、好きなことを・・・ほんとうに自分の好きだと思えることを…仕事としているひとたちだ。
美容師だったりひとのこころとからだを癒す仕事だったり会社の社長だったり会社員だったり。
それはさまざまなんだけれども。
そうして彼ら彼女らはやはりみな同じようにいうのだ。

焦ることはないよ。ゆっくり考えたらいいよ。
けれどもね、たいていなんでも、なんとかなるものだよ。

この先どうしたらいいのかな。
私は本当に本当にそれを毎日、毎日毎日、考えていて
考えても考えても結論は出なくて
考えるのがほんとうに好きだねえとまた友だちには笑われてしまいそうだけれども
それでも考えることしかできない。まだ。

こたえはどこにあるのだろう。
正解ばかりを。思えば私は求めすぎているのかもしれない。