今日も朝から会議。
恋人とトーストを半分こし、ひとあし先に家を出る。

昼は以前の部署でアシスタントをしてくれていた女の子と。
まだ22~3歳かと思っていたのだけれども、
もう27ですよーといっていてびっくりした。
確かにそれはそうだ。
彼女が入社したときに、確か23歳といっていたのだし、あれから数年は経っているはずだ。
もはや正確には憶えていないのだけれども。
ふたりで焼き鳥丼を食べる。

夕方、恋人に電話をすると、私の会社のそばにいるという。
一緒に帰ろうというので、待ち合わせて恋人の会社へ。
そこで少し仕事をして、帰宅。

焼肉が食べたいというので、行ったことがない焼肉屋さんへ。
しかし満席で、30分待ち。
お腹がすいている恋人はとても待てないというので(というよりも恋人はなんだって待つことはしないのだが)、
別の焼肉屋さんへ。
しかしそこは席は空いているけれども団体さんが入ってしまったので、準備に15分くらいかかるという。
もちろんその店も却下に。
そうして結局、いつもの中華へ。
肉を食べたかったらしい恋人はカルビ焼き定食を、私は野菜炒めを食べる。

そういえば今週はいえごはんが少ない。
いえごはんの回数(あるいは質)と日々の生活への満足度というのは
やはり密接に絡んでいるように思う。

沢木耕太郎さんの「世界は”使われなかった人生”であふれている」を読み始めました。
沢木さんの、まあいうなれば映画評、の本。
沢木さんはなにを書いても沢木さんの本だとわかる本を書く。
それはすばらしいことのように私は思う。
そういえば沢木さんはなにを書いてもエッセイのようになる。
なにを書いても小説のようになる江國さんのようなひともいるし、
よしもとさんや村上さんなどは、小説にしろエッセイにしろ、それがきちんとそれらに分類されるのだとわかるものを書く。
なんだかよくわからないけれども、よくわかる。ような気がしませんか。

少しずつまたきちんとはぐるまがまわり
生活とこころ(こころの生活?)がまわるようになってきました。