所用で浅草にやってきた。
待ち合わせにはまだ小一時間あるので、カフェ・ムルソーに寄る。
ずいぶんと久しぶりのことだ。
だいたいこの辺り、と検討をつけて行ったら、それよりも一区画以上も先だった。
いったい最後にこの店にお邪魔したのは、いつのことになるだろう。
記憶を手繰り寄せてもうまくいかない。
3年か4年か。そんなところだろうか。
いつ、というのは忘れてしまったが、だれと、というのははっきりと憶えている。
記憶はとても美しい。
でもどこかピントがずれていて、色褪せていて、
古いアルバムを見るということばが陳腐でもぴったりとくる。
来ていなかった期間分だけ、いやそれよりももっと、
お店は古びて色褪せていて、
以前感じたような優雅さからはすこし遠ざかったように思う。
客層はすこし若く、店員さんは素人っぽくなった。
それはこの店が遂げようとしている変化あるいは進化であって、
それについてどう思うかはまた別問題だ。
あるいは変わったのは私のほうで
店じたいはまったく変わらないのかもしれない。
分からない。
そうして昔よく座った席も、前に座っていたひとの顔も
きちんと憶えているけれど、
いまどこかで見かけたとしたら
やっぱりどこかピントがずれたように見えるのだろうか。
いずれにせよ私も同じように見えることだろう。もちろん。
変わらずに輝かしいことなんておそらくなくて、
ただ変わったことについて、その方向性についてどう思うかは、
なにしろ別問題なのだから。
おりしも突然の雨。
煙たく流れる隅田川だけは、数年前と変わらない。
ただ、変わらないように見えるだけなのだろうとも思う。
待ち合わせにはまだ小一時間あるので、カフェ・ムルソーに寄る。
ずいぶんと久しぶりのことだ。
だいたいこの辺り、と検討をつけて行ったら、それよりも一区画以上も先だった。
いったい最後にこの店にお邪魔したのは、いつのことになるだろう。
記憶を手繰り寄せてもうまくいかない。
3年か4年か。そんなところだろうか。
いつ、というのは忘れてしまったが、だれと、というのははっきりと憶えている。
記憶はとても美しい。
でもどこかピントがずれていて、色褪せていて、
古いアルバムを見るということばが陳腐でもぴったりとくる。
来ていなかった期間分だけ、いやそれよりももっと、
お店は古びて色褪せていて、
以前感じたような優雅さからはすこし遠ざかったように思う。
客層はすこし若く、店員さんは素人っぽくなった。
それはこの店が遂げようとしている変化あるいは進化であって、
それについてどう思うかはまた別問題だ。
あるいは変わったのは私のほうで
店じたいはまったく変わらないのかもしれない。
分からない。
そうして昔よく座った席も、前に座っていたひとの顔も
きちんと憶えているけれど、
いまどこかで見かけたとしたら
やっぱりどこかピントがずれたように見えるのだろうか。
いずれにせよ私も同じように見えることだろう。もちろん。
変わらずに輝かしいことなんておそらくなくて、
ただ変わったことについて、その方向性についてどう思うかは、
なにしろ別問題なのだから。
おりしも突然の雨。
煙たく流れる隅田川だけは、数年前と変わらない。
ただ、変わらないように見えるだけなのだろうとも思う。