考えてしまうことがあった。

弟分的に仲の良かった後輩のお嬢さんなのだが。
簡単にいうと目に癌ができて、
最近、その視力をうしなっていた右目の切除手術をおこなった。
目をとらないと脳髄をとおして全身に癌がひろがってしまう、という状況だったそうで、
いっぽうで、まだ視力がある左目は残すので、
これから半年以上の放射線治療と抗がん剤投与を処置として施すという。
いま彼女の右目には義眼が入っている。

なんということだろう。
まだ10ヶ月のちいさな赤ちゃん。

最近、伊坂幸太郎さんの小説から、目の見えないひとの話を書いたところだ。
それなのに。それだからこそ。
なんといっていいのか、私にはわからない。

ただなにかすこしでも力になれることがあればいいと思う。
ほんのすこしでも。

医師である友人と弟に助言をもとめ、
そのことばを後輩に伝えた。

電話越しにきこえる後輩の声は、
後輩なんかではなくて、お父さんの声だった。
鼻にかかる甘えた声音は後輩のままだったけれど。
でもお父さんの声だった。
悩んで迷って、そして受け入れる決意をしたひと特有の
澄んだ気配が電話ごしに伝わってくる。

ただ。受け入れる決意というものは。
いくらしたところで、必ずゆり戻しはあるだろう。
どうして?という疑問。あのときこうしていればという後悔。自責。
過去を振り返ってもなににもならないというのは
あまりにも酷だろう。
過去がある限り、振り返ってしまうのは仕方のないことだ。

これが運命なのだと。なにかの役割なのだと。
そのうち思えるかもしれなくても。
本人は思えたとしても、親はどうなんだろう。
私は親になったことがないから。わからない。わかりようがなくて。もどかしい。


私は私にできることをしようと今日も思う。
私にできること。ちいさなことでも。