飯田橋の大通りから二本入った路地に、CAFE BITという喫茶店がある。
一見ありきたりの喫茶店。
唯一、すべてのIT機器の持込が禁止、という点を除いては。
CAFE BITは、入るとすぐにコインロッカーがあって、すべての客は・・・必要性とか緊急性とか職業柄などはお構いましに、携帯電話やらノートパソコンやらゲーム機器やらを預けなければならない。
預けたうえに、さらにロッカーの鍵も、マスターに没収される。
そうしてはじめて、席につける。
ただしIT機器の持ち込みが禁止なだけで、それ以外はとても肝要な店だ。
たとえばコーヒーにマヨネーズを入れたいというお客にだって、きちんとマヨネーズを出してくれる。
マスターの意には反しているかもしれないけれども。
さらにマスターは決して時代に逆行している、あるいは時代とともに歩まないというわけでもなく、彼の弁を借りれば、
「店の経理にはパソコンを使っていますし、プライベートでもネットサーフィンくらいやりますよ」とのことである。
ではなぜに、IT機器持込厳禁、なのか。
これもマスターの弁を借りれば。
「当店の名前は<CAFE BIT>というんですが、BITとはBEFORE ITの略なんです。メイド喫茶じゃありませんが、ここを<ごっこ遊び>の舞台にしようと思いましてね。その舞台とは、パソコンや携帯がまだ普及していない、ちょっと前の日本、というわけなんです」
なのだそうだ。
なぜならば。
「・・・私のような世代の人間は、IT機器のなかった時代を知っているでしょう。電子メール出現以前の、遠方の知人とは手紙。好きな女の子とは交換日記と、こちらが投げかけたことばが戻ってくるのに、日をまたぐのが普通だった時代を」
BEFORE IT。
私もその時代を知っている。
小学校のころ。
遠く離れた女の子と文通をしていた。当時、少女雑誌にはペンフレンド募集のコーナーがあったのだ。
好きな男の子と交換日記やノートの切れ端に書いた手紙の交換をしていた。
みんな思い思いに凝ったかたちに手紙を折っていて、そういうのが苦手な私はいつもふつうに四角に折るだけで、ちょっと味気なかった。
中学校や高校のころだって、待ち合わせに遅れた相手とは連絡のとりようがなかった。
いったい何時間、誰もいない駅でつきあっていた子を待っていたことだろう。
つきあっている人に電話をすると、いつも妹さんが出て嫌だった。
慕ってくれていた後輩から電話がくるたびに、用もないのに母がリビングをうろうろした。
いますぐ声がききたいと思っても、明日の朝まで待つしかなかった。
知らない言葉は辞書で調べた。
(両親からの大学の入学祝いは広辞苑だった)
それでもわからないことは親や兄弟や友だちや先生に聞くかした。
それでも深まるなぞは、自分でこたえを考えるしかなかった。
だってそれしか、手段がなかったのだ。
AFTER IT。
世界はどんどん大きく。そしてちいさくなっていく。
知らないことも知っていることも、「○○とは」と入力してぐぐっとすればすぐにこたえが出る。
いくつかのこたえをつなぎあわせれば、ほとんど正解があらわれる。
遠くの友だちにも携帯。真夜中でもメール。
海外にいたって、日本にいる恋人と電話で話ができる。
その便利さ。快適さ。安心。
救われたものもたくさんあるのだ。それは事実だ。
でもときどき。苦しくなる。
それもまた事実。
コイツがなくなったら。どんなにかすっきるとするだろう。
と、携帯電話をうらめしく見ることもけっこうある。
実際に、旅先で携帯が圏外だと、最初はどきどきするけれども、途中からとてもラクになる。
たとえば喫茶店で本を読んでいて。
誰かが携帯でメールかなんかをチェックしていると、
そういえば私携帯見てないけど平気かしらと自分もチェックしたくなる。
縛られてるなあ。と自覚する。
ものすごい勢いで縛られている。
仕事はIT系である。それでゴハンを食べている。
(しかし「系」ってなんだろうね、いつも不思議なんだけど)
今月は5つほど、手がけたサイトが世の中に出た。
それにちょうどもうすぐ、ゼロからプロデュースしたけっこう大きなサイトが世の中に出る。
またひとつITの産物を世の中に産み出してしまったよ。
いまの仕事はけっこう向いていると思う。自分でいうのもなんだけれども。
それでもやっぱり心はアナログなのだろう。
仕事をしていると楽しいけれども
仕事を遠く離れるともっと楽しい。
昔に戻ったほうがいいなんて、もちろん思わないけれど。
ただ失ったことを。これからも失っていくのだということを。
きちんと憶えておいたほうがいいだろう。私は。私たちは。
そう思う。
冒頭の「CAFE BIT」は、実際には世の中にない。
いや、あるかもしれないけれども、「マダム・リーと夜更けの小人」という沢村凛さんの小編のなかに出てくる喫茶店のことだ。
この小編、なかなかいい言葉がちりばめられていたので、それはまた紹介するとして。
今夜は少し。そんなことをつらつらと考えてみる。
一見ありきたりの喫茶店。
唯一、すべてのIT機器の持込が禁止、という点を除いては。
CAFE BITは、入るとすぐにコインロッカーがあって、すべての客は・・・必要性とか緊急性とか職業柄などはお構いましに、携帯電話やらノートパソコンやらゲーム機器やらを預けなければならない。
預けたうえに、さらにロッカーの鍵も、マスターに没収される。
そうしてはじめて、席につける。
ただしIT機器の持ち込みが禁止なだけで、それ以外はとても肝要な店だ。
たとえばコーヒーにマヨネーズを入れたいというお客にだって、きちんとマヨネーズを出してくれる。
マスターの意には反しているかもしれないけれども。
さらにマスターは決して時代に逆行している、あるいは時代とともに歩まないというわけでもなく、彼の弁を借りれば、
「店の経理にはパソコンを使っていますし、プライベートでもネットサーフィンくらいやりますよ」とのことである。
ではなぜに、IT機器持込厳禁、なのか。
これもマスターの弁を借りれば。
「当店の名前は<CAFE BIT>というんですが、BITとはBEFORE ITの略なんです。メイド喫茶じゃありませんが、ここを<ごっこ遊び>の舞台にしようと思いましてね。その舞台とは、パソコンや携帯がまだ普及していない、ちょっと前の日本、というわけなんです」
なのだそうだ。
なぜならば。
「・・・私のような世代の人間は、IT機器のなかった時代を知っているでしょう。電子メール出現以前の、遠方の知人とは手紙。好きな女の子とは交換日記と、こちらが投げかけたことばが戻ってくるのに、日をまたぐのが普通だった時代を」
BEFORE IT。
私もその時代を知っている。
小学校のころ。
遠く離れた女の子と文通をしていた。当時、少女雑誌にはペンフレンド募集のコーナーがあったのだ。
好きな男の子と交換日記やノートの切れ端に書いた手紙の交換をしていた。
みんな思い思いに凝ったかたちに手紙を折っていて、そういうのが苦手な私はいつもふつうに四角に折るだけで、ちょっと味気なかった。
中学校や高校のころだって、待ち合わせに遅れた相手とは連絡のとりようがなかった。
いったい何時間、誰もいない駅でつきあっていた子を待っていたことだろう。
つきあっている人に電話をすると、いつも妹さんが出て嫌だった。
慕ってくれていた後輩から電話がくるたびに、用もないのに母がリビングをうろうろした。
いますぐ声がききたいと思っても、明日の朝まで待つしかなかった。
知らない言葉は辞書で調べた。
(両親からの大学の入学祝いは広辞苑だった)
それでもわからないことは親や兄弟や友だちや先生に聞くかした。
それでも深まるなぞは、自分でこたえを考えるしかなかった。
だってそれしか、手段がなかったのだ。
AFTER IT。
世界はどんどん大きく。そしてちいさくなっていく。
知らないことも知っていることも、「○○とは」と入力してぐぐっとすればすぐにこたえが出る。
いくつかのこたえをつなぎあわせれば、ほとんど正解があらわれる。
遠くの友だちにも携帯。真夜中でもメール。
海外にいたって、日本にいる恋人と電話で話ができる。
その便利さ。快適さ。安心。
救われたものもたくさんあるのだ。それは事実だ。
でもときどき。苦しくなる。
それもまた事実。
コイツがなくなったら。どんなにかすっきるとするだろう。
と、携帯電話をうらめしく見ることもけっこうある。
実際に、旅先で携帯が圏外だと、最初はどきどきするけれども、途中からとてもラクになる。
たとえば喫茶店で本を読んでいて。
誰かが携帯でメールかなんかをチェックしていると、
そういえば私携帯見てないけど平気かしらと自分もチェックしたくなる。
縛られてるなあ。と自覚する。
ものすごい勢いで縛られている。
仕事はIT系である。それでゴハンを食べている。
(しかし「系」ってなんだろうね、いつも不思議なんだけど)
今月は5つほど、手がけたサイトが世の中に出た。
それにちょうどもうすぐ、ゼロからプロデュースしたけっこう大きなサイトが世の中に出る。
またひとつITの産物を世の中に産み出してしまったよ。
いまの仕事はけっこう向いていると思う。自分でいうのもなんだけれども。
それでもやっぱり心はアナログなのだろう。
仕事をしていると楽しいけれども
仕事を遠く離れるともっと楽しい。
昔に戻ったほうがいいなんて、もちろん思わないけれど。
ただ失ったことを。これからも失っていくのだということを。
きちんと憶えておいたほうがいいだろう。私は。私たちは。
そう思う。
冒頭の「CAFE BIT」は、実際には世の中にない。
いや、あるかもしれないけれども、「マダム・リーと夜更けの小人」という沢村凛さんの小編のなかに出てくる喫茶店のことだ。
この小編、なかなかいい言葉がちりばめられていたので、それはまた紹介するとして。
今夜は少し。そんなことをつらつらと考えてみる。