よしもとばななさんの「なんくるない」を読んだ。

よしもとさんと私には、共通で知っているひとがふたりいて
(本当はもっといるかも知れないんだけれども、よしもとさんの本に出てくるなかではふたり)
ひとりはよしもとさんが「SLY」を書いたときのエジプト人ガイドである。

ずいぶんと前になるけれども、ダイビングをしに紅海へ行き、
ついでにカイロでピラミッドとか考古学博物館を見学した。
大規模なテロが起きた直後で、日本人もたくさん亡くなっていたし、
時期的にも女性の一人旅は現地ガイドをつけたほうがいい忠告されたので、
普段はつけない現地ガイドを、カイロ観光のときだけつけた。

そのガイドが、よしもとさんがエジプトに行くたびにガイドをお願いしているひとだったのである。
よしもとさん(当時は吉本さん、だった)の作品はよく読んでいたので、なんだか嬉しかった。
それにガイドさんはとてもいいガイドさんで、よしもとさんの話をちょっとだけして、あとはいろいろなところにきちんと案内をしてくれて、お土産物屋さんに連れ込んだりもしなかったし、なかなか楽しく、安全なカイロ観光になった。

そしてもうひとりの共通の知人のこと。

いつかそのひとと、そのひとの身に起こったできごとについて、
よしもとさんはいつか作品に残すかも知れないなあと、それが起こってからずっと思っていた。
とてもかなしいできごとだったので
できれば作品にしないでほしいとも思っていた。
ただよしもとさんは、そのひとのことをとても好きだから(それはそのひとのことがとてもよくエッセイに出てくるのでわかる)、
とはいえ作品になったとしても、きっと好きな作品になるんだろうなとも。思っていた。
矛盾するようだけれども。

文庫になった「なんくるない」を手にして、しばらく読んでいくうちに、
あっ、と思う作品にいきあたった。
あっと思って、胸がぎゅうぎゅうと苦しくなった。
あのころの、かなしく重苦しい気持ちがよみがえってきて、
圧倒的な暗さに押しつぶされそうになった。

私にふりかかった事件ではないし、
さらに正確にいうならば、私がよく知っているのは、そのひと本人のほうではなく、そのひとの弟さんのほうなのだが。
(そのひと本人とももちろんお会いしたことはあるけれども、しょっちゅう会っているのは弟さんのほうだ)
ただなんというか、その弟さんのことを、私はほんとうに大好きで、どれくらい好きかというと、そのひとのまわりのものならなんでも好きに思えてしまうくらいそのひとのことを好きなので、
そのできごとを弟さんが教えてくれたときに、その弟さんの胸の痛みと、
お会いしたばかりのお兄さんのことを思うと、ほんとうにやるせない気持ちになったのだった。
そのときの、そのやるせなさと暗い気配を、「なんくるない」に収められているその作品を読み始めたときに感じた。

最後まで読めないかもしれない、と思って、
実際に、何度も本を置いたし、日にちを置いて読まないことには先にすすめなくなって、
途中で違う本を読んだりもした。

ただある瞬間にすうっと、読める、という時間がきて、
そこから先は大丈夫だった。

そうしてその作品は、やはりとても好きな作品だった。

よしもとさんは、とてもそのひとのことが大好きで、
たぶん私がその弟さんに対して好きなのと同じように大好きで、
それがとてもよくわかった。
そのことがおきてから、実際に作品になるまでの年数を考えても、
それがよくわかった。

読みすすめるうちに、そのひとのことがすごくたくさんあたまに浮かんできて、
うまくいえないんだけれども、
読みはじめたときのかなしい暗い気持ちはきれいになくなって、
あの沖縄のきれいなきれいな海を見ているときと同じ気持ちになった。

そういえばここしばらく会っていない弟さんにすごく会いたくなったので、
なんにもないフリをしてランチでもしませんか?とメールをした。
弟さんからも、なんでもないようなオッケイのメールがきた。

私のおじぃ。
会えるの、すっごく、すーっごく楽しみです。