「私の胸で泣く?」

どうしようもなくかなしいことがあったとき
それがかなしいと認知できないくらいのおおきなくらいものに
のみこまれそうになっているとき。
あるいはのみこまれているとき。

そんなふうにオンナトモダチにいわれたら。
私はきっと泣けると思う。
かなしいことをかなしいとちゃんと認められて。
そうしてそんなオンナトモダチがいる、
そのことへの安堵と安心のために。

オンナトモダチというものは
本当に最強なのだ。

島本理生さんの「生まれる森」という小説には、
そういうオンナトモダチの感覚がとても上手に詰まっていると思う。

冒頭のせりふは、主人公(野田ちゃん)のオンナトモダチの、
キクちゃんという女の子のものだ。

「野田ちゃん」は、こころにおおきな怪我をしてしまっていて、
そうしてひょんなことから高校の同級生だったキクちゃん…高校時代はキャバクラでアルバイトをしていて、母親がいない男家族の紅一点である…に相談したことをきっかけに、
ふたりは友情というと安っぽくなるような素敵な関係を築いていく。
そんなふたりをとりまく数人の、これは静かなものがたりである。

この小説のなかの「キクちゃん」のセリフがことごとくいい。

「けど、やっぱり好きじゃない人と寝ちゃだめだな」
「いや、私は嬉しいな・・・だって野田ちゃんっていつもこっちが誘わないと連絡してこないから。一緒にいるときはそんなことないのに、いったん顔を合わせなくなると、まるで最初からいなかったひとみたい」
「私は自慢じゃないけど、女の子の友達って野田ちゃんだけなんだよ」
「こういう鼻と鼻とをこすり合わせるのを、エスキモーキスっていうらしいよ」
「昨日よりは今日、今日よりは明日、日々、野田ちゃんは成長して生きてる。それに私もお兄ちゃんもいるし、親だって健在でしょう。だから大丈夫だよ。なにも心配することなんてないよ…」
「私の胸で泣く?」

だいたいにして島本さんの小説は、どの小説もせりふがとてもきれいだ。
なんていうか、生きてるひとのことば。
とでもいったらいいだろうか。

こんなことあったなあ。
こんなようなこといったよなあ。
と、彼女より10歳もとしかさの私は懐かしく思い出したり
いまも胸の奥に置き忘れている感情を引っ張ってこられたりする。

そうして私にも。
すてきなオンナトモダチたちがいるのだということを
ますます誇らしく思ったりする。