編集者の友だちがいて、その子は時折、編集した本を送ってくれる。
仮にMとしておこう。
Mが編集した本を前にまず私がすることは、著者さんからの献辞を探すことだ。

「編集者の○○さんには大変お世話になり」
「○○出版の○○さん。どうもありがとう。あなたがいなければ・・・」
みたいな、あれである。

Mに対するさまざまなお礼のことばを…それはMの尽力だったり、そもそもその著者さんをMが探し当てたことだったりもする…を、ふむふむと読みながら、とても誇らしい気持ちになる。
たまに献辞がない…あとがきやまえがきがそもそも存在しない本があったりして、そういう本を見つけると妙に悔しい。

ちょっとちょっと、Mのことぜんぜん書いてないじゃないの!
なんていうふうに思う。

M本人はたぶんそんなこと考えたことすらないだろうけれど。

そんな彼女が4~5年前に送ってくれたもののうち、
梶山富蔵さんという、盆栽家(っていうのかな?)の小品盆栽に関するがある。
盆栽にはわりと興味があったので、とてもうれしかったのを憶えている。
(しかしこの本には残念ながら献辞が載っていなかったけど。ふん)

いまでこそ盆栽は世代を超えて流行ってきているけれども、
当時はそこまでブームではなかったので、
だから難しそうな本は多かったけれども、わかりやすくてきれいなテキストブックはあまりなかったはずだ。
何度もその本を読み返した。

ご存知の方は多いだろうが、盆栽というのはとても奥深い世界である。
なにしろちいさな鉢にひとつの宇宙をつくりあげる、ようなものなのだ。
植物だけでなく、飾り台や鉢までが深い意味をなす。

いいなあ。気になるなあと思いつつ、
盆栽はまだはじめていない。

そういえば。
埼玉県には盆栽町というまちがあって、確か関東大震災で被災した東京の盆栽職人たちがみんなで移り住んだところが、町の由来だったと思う。
道路幅の制限や、家は平屋でなくてはならないとか、盆栽を○個以上持つようにとか、
そんなことが町の取り決めにあったのだそうだ。
いずれも盆栽を生業とし、育てていくために最適な日照や風通しなどの環境づくりのための取り決めだったと、昔なにかで読んだことがある。
なんというか、とてもいい話のように思う。
いつか行ってみたい町のひとつだ。

もうすぐ父の日なので、
今年はブルーベリーの樹と(大きくなって食べられるものがええんちゃう?という恋人の提案による)、
迷った末に、櫨の盆栽を送った。

秋には葉に真っ赤な色がつくだろう。
祖父の法事でちょうどそのころには帰省することになるだろうから
色づいた櫨を見られるかもしれない。