ナオー新鮮な野菜とお菓子、送ったからねー。
Tさん(恋人)によろしくねー。

と母から電話がかかってきたとき。
すこーし嫌な予感がした。

新鮮な野菜はうれしい。それも田舎の野菜だし。
でもあの母のことだ。
きっとなんの手加減もなく、送ってくるに違いない。

その予感は的中し。
今朝とどいた宅急便はものすごいものだった。
いったい食べるのにどれくらい時間がかかるのだ?というくらい大量の野菜や果物である。
キャベツ。レタス。ラディッシュ。じゃがいも。たまねぎ。きゅうり。ピーマン。セロリ。アスパラ。ブロッコリー。さやいんげん。えんどうまめ。大根。長いも。グレープフルーツ。
が、それぞれものすごく大量にやってきたのだ。
それも殆どが冷蔵庫に入れないといけない野菜である。

私の家の冷蔵庫は家族用のおおきなものである。
それでも中に入っているものをかなり外に出したりしないと収まりきらない。
しかも先日、特売をやっていたスーパーマーケットで野菜を大量購入したところだ。

確かに。確かに新鮮な野菜をほしいとはいったのだ。
でもなんていうか、それは言葉のあやというか。
どうしてもなにかを恋人に贈りたいというので、
そんなに気を遣う必要はないしけれど、
そんなにいうならそれならば
「たとえば新鮮な野菜とかでいいよ?」とこたえた。
長野は野菜が豊富にそろうところだし、母はいつも有機栽培の野菜をそろえているお店で買い物をしているから、それなら手間でもないだろう。
という軽い気持ちだったのだ。

まさかこんな大量の物資が届くとは。
しかもお菓子も異様にいっぱいある。
(それも私が自分では決して買わないようなライナップである)

加減というものを知らない。さすが母である。
しかも微妙に、いや歴然と。
私の好物のブロッコリーとグレープフルーツとアスパラとピーマンの量が、他の野菜に比べてさらに倍、なところに並々ならぬ母の愛を感じる。
そしてこういうぶぶん、私にも色濃く受け継がれているんだよなあとすごく思う。
私もよくやってしまうのだ、まったく同じようなことを。

今夜は「新鮮な野菜」で
野菜炒めと野菜サラダと浅漬けとつくった。

とうぶん野菜の献立が続きそうだけれども。
母の愛、だものね。