最近どうもおもしろい本にいきあたっていない。
おもしろいというのは、笑えるという意味ではもちろんなく、
なにがしか感慨を受けたり、たった一行でもいいから、好きだなあと思えることばがある本のことである。

と思いながら、ずうっと前に買った「yom yom」を読んでいたら(注;新潮社が出している月刊小説誌)、
カート・ヴォネガットの「キヴォーキアン先生、あなたに神のお恵みを~god bless you,dr.kevorkian」にとてもいい一節があった。

ヴォネガットは、アメリカの著名な小説家である。
いわずもがな。

さてその一節である。
とてもいいくだりなので、省略せずに、そのまま転載する。

亡くなった叔父のアレックス・ヴォネガットは、わたしの父の弟で、ハーバード大学を卒業後、インディアナポリスで生命保険の外交員をしていたが、読書家で、賢明で、一族のみんなとおなじくヒューマニストだった。アレックス叔父が人間たちに対していだいていた最大の不満は、彼らがめったにいま自分は幸福だと気づかないことだった。

アレックス叔父その人は、いい季節がめぐってくると、それを認めることにやぶさかでなかった。夏の日にリンゴの木陰でレモネードを飲んでいるとき、アレックス叔父はよく会話を中断してこういったものだ。
「これがすてきではなくて、ほかになにがある?」

このわたしも気楽で自然な幸福感がおとずれたとき、声に出してこういう…「これがすてきでなくて、ほかになにがある?」もしかしてみなさんも、アレックス叔父のこの遺産を利用できるかもしれない。その言葉を叔父のような口調で大きく唱えるたびに、わたしはぱっと気分が明るくなる。

下手な感想を書くことは辞めよう。

そうして。
私もこえにだしていおう。あるいはそっとこころのなかで。

たとえばスーパーマーケットの野菜が新鮮だったとき。
たとえば今夜の食事がおいしかったとき。
たとえばふらりとはいった喫茶店にまたこようかなと思えたとき。
たとえば木漏れ日がきらきらとまぶしかったとき。
たとえば薔薇がまたつぼみをつけたとき。
たとえば友だちと楽しい時間を過ごしたとき。
たとえば夜ふとめざめて隣でやすむ恋人とめがあったとき。

たとえば。たとえば。たとえば。

「これがすてきでなくて、ほかになにがある?」