ZARDの坂井泉水さんが亡くなられました。
ずっと入退院を繰り返されていたんですね。
全然知らなかった。
去年、子宮頸癌で入院し、今年、肺に転移して再入院をされていたと
ニュースには書いてあった。
時事的なものってここに書くのをなんとなく避けてきたんだけれども、
さすがに今回は書くのを避けられないなあ。というのが正直な気持ち。
というのも、思ったことをここに書かないというのは、私にとっては、どうにもこころに重石をつくることなのだ。
だから書いてしまおう。
というのも。子宮頸癌。
私が今回手術をしたのは、まさにその、子宮頸癌の摘出手術なのである。
同じ子宮頸癌、
といっても私の場合はそれの初期のもので。
とりあえず癌部を摘出する手術は成功したので、
あとは病理にまわしている結果を待っている、というのが正確な状況だ。
ただ恐らくは、きちんと摘出されているだろうと思う。
初期で見つかったことは、本当に不幸中の幸い、としかいいようがないし、
それはよくわかっている。
だけれども。
やはり子宮頚部という場所は、女性にとってはとても大切な場所で、つまり子どもを産むために大切な場所なので、
癌だとわかったときは、だから二重のショックだった。
どこの癌でもショックには違いないだろうが。
そうしてもちろん。もっと深刻なひとがいることもよくわかってる。
ただ病気になって思うのは、
病気というのは相対的なものではなく、
絶対的なものなのだということ。
つまり.
私はラッキーだったとか、あのひとに比べたら私は、とかいうのは。
思うし、言われるし、口にも出すけれども。
そうして、思っているときや言われたときや言っているときは
ほんとうにそう思っているのだけれども。
けっして、本音にはなりえないのだ。
おそらくは、まっさらに健康な自分に対して、
「で、いまは、どうなのか。」ということに尽きるんじゃないかと思う。
少なくとも私の場合は、そうなのだ。
恥ずかしい話かもしれないけれど。
坂井さん。つらかったんだろうなあと思う。
もちろん私は坂井さんじゃないから、ほんとうのところはわからないけれども。
でもそれでもすこしだけわかる。
それは私が、坂井さんよりも明らかにかなり相当、病状が軽いからだ。
なんだかいたたまれない。いたたまれないのだ。
同じように。つらい思いをしているたくさんのひとたちのことも。
ずっと入退院を繰り返されていたんですね。
全然知らなかった。
去年、子宮頸癌で入院し、今年、肺に転移して再入院をされていたと
ニュースには書いてあった。
時事的なものってここに書くのをなんとなく避けてきたんだけれども、
さすがに今回は書くのを避けられないなあ。というのが正直な気持ち。
というのも、思ったことをここに書かないというのは、私にとっては、どうにもこころに重石をつくることなのだ。
だから書いてしまおう。
というのも。子宮頸癌。
私が今回手術をしたのは、まさにその、子宮頸癌の摘出手術なのである。
同じ子宮頸癌、
といっても私の場合はそれの初期のもので。
とりあえず癌部を摘出する手術は成功したので、
あとは病理にまわしている結果を待っている、というのが正確な状況だ。
ただ恐らくは、きちんと摘出されているだろうと思う。
初期で見つかったことは、本当に不幸中の幸い、としかいいようがないし、
それはよくわかっている。
だけれども。
やはり子宮頚部という場所は、女性にとってはとても大切な場所で、つまり子どもを産むために大切な場所なので、
癌だとわかったときは、だから二重のショックだった。
どこの癌でもショックには違いないだろうが。
そうしてもちろん。もっと深刻なひとがいることもよくわかってる。
ただ病気になって思うのは、
病気というのは相対的なものではなく、
絶対的なものなのだということ。
つまり.
私はラッキーだったとか、あのひとに比べたら私は、とかいうのは。
思うし、言われるし、口にも出すけれども。
そうして、思っているときや言われたときや言っているときは
ほんとうにそう思っているのだけれども。
けっして、本音にはなりえないのだ。
おそらくは、まっさらに健康な自分に対して、
「で、いまは、どうなのか。」ということに尽きるんじゃないかと思う。
少なくとも私の場合は、そうなのだ。
恥ずかしい話かもしれないけれど。
坂井さん。つらかったんだろうなあと思う。
もちろん私は坂井さんじゃないから、ほんとうのところはわからないけれども。
でもそれでもすこしだけわかる。
それは私が、坂井さんよりも明らかにかなり相当、病状が軽いからだ。
なんだかいたたまれない。いたたまれないのだ。
同じように。つらい思いをしているたくさんのひとたちのことも。