たとえば両親。兄弟。
過剰なほどの心配性の母が今回はおとなしいなと思っていたら。
結果がわかるまで変に不安にさせたくないという母心だったとらしい。
同じ病気を持つ父がほんとうはこころを傷めていたこと。
一生懸命に病気のことを調べてくれていた末弟。
なんでこんなにこの病気に詳しい?と思ったら、インターネットや本でこっそり調べていたらしい。
理性的に専門的な話をしてくれた上の弟。
毎日のように、ナオは元気でやっているのか、結果は出たのか、と実家に連絡をしていたという兄。
みんな。私にはひとこともなにもいわないのに。

たとえば会社の上司。
報告のメールをしたら。全力で応援する、俺だけじゃなくて全員で完治するまで応援するよ。
という返事がきた。

たとえば友だち。
検査結果が出たことを、病気について相談にのってくださったかたに連絡をしたら。
仕事中にもかかわらずかけつけてくれた。
そのかたを私に紹介してくれた友だちも。仕事の予定を変更してやってきた。
つい数日前に相談に乗っていただいたばかりなのに。

3人で青山のおいしい天ぷらをいただく。
単なる食いしん坊の3人と化して。化したつもりで。
たくさんの天ぷらをひたすら食べる。

活き活きとした素材。職人さんのひたむきな仕事。
おいしいものを食べる喜び。
このお店を選んでくれたそのかたは、きっとそういうところからも私を励まそうとしてくれたのだと思う。
特別な日だから出してくれる?とお願いをしてくださった、卵の黄身の天ぷら。

おいしい天ぷら食べたかっただけだから。
楽しいランチになったから。
おふたりは口々にそんなことをいう。