日曜日にサンデー・プロジェクトを見ていたら、飯島愛さんの引退特集?のようなものをやっていた。
見るともなしに見ていると。
芸能界を引退する理由について、を話す場面で。
飯島さんはこんなことを言っていた。

この世界(芸能界)で生きていくには、歌が歌えるとか演技ができるとか、そういうスペシャリティみたいなものが必要だと思っていること、でも自分にはそういったスペシャリティがないこと。
そうしてそれ故に「代わりはいっぱいいるんだな」と病気をしてみて痛感したこと。

一言一句憶えているわけではないけれど、要約するとそんなところだと思う。

彼女のことは好きでも嫌いでもないのだけれど。
このとき言っていたことはとても理解できる。と思いながらテレビを見ていた。
なんとなくわかっちゃう感じ。
そう、そんな感じ。

芸能界だけではなくて、たぶんこの「スペシャリティ」とか「代わりがいる感じ」というのは、私がいまいる世界でも同じことで。
私ももう何年も前から、そのふたつの間で揺れている。
こたえはまだ出ていない。だからまだここにいる。でもいつまで?

たぶんきっと。
誰にも代わりはいるし代わりはいないのだろう。
つまり。役割としての私、に代わりはいる。
でも。私という存在、の代わりはいない。
そういうことだ。

実は私も飯島愛さんと同じ、腎盂腎炎を患ったことがある。
もう7~8年も前の話になるけれど、突然40度ほどの熱が出て、腰と背中が痛くて(腎臓は腰の位置にあるので)、どうしようもなくなった。
私の平熱は35度だ。38度くらいでも十分に苦しいのに、40度も出ると、もはや目の前は真っ暗である。
なにがなにやらわからずに、でも風邪ではないという気がしていたのでとにもかくにも病院に行ったら、腎盂腎炎と診断をされた。
慢性になりやすく、また腎臓は不可逆性の臓器とかで、いちど悪くするとよくなることはない。下手をすると腎臓病。
だからとにもかくにも安静に。仕事はほどほどに。というのが病院から言い渡されたことだ。

原因はうわさされているようにいろいろあるけれど、過労の場合が多くて、私はまさに過労だった。
当時ものすごく忙しかったし、あまり寝ていなかった時期だ。
だから本当は、それ以来、あまりのハードワークはしてはいけないことになっている。
してしまっている、というのが現状だけれど。

飯島さんもとても疲れているんだろうな。かわいそうに。
たくさん休んで、元気になってくれるといいなと思う。
だってやっぱり誰にでも、代わりはいるし代わりはいないと思うから。