山崎ナオコーラさんの「人のセックスを笑うな」を読んだ。
文藝賞を受賞し、芥川賞の候補作にもなった小説。
19歳のオレと39歳のちょっと風変わりな恋人、ユリ。
ふたりが過ごした日々の話である。
「オレ」は美術学校に通うさえない学生で、「ユリ」はその学校で講師をしている先生で、でもまったく先生らしくもなく、ふつうの中年のオバサンであり、人妻である。

なにがよかったかというと。
たとえば「オレ」が「ユリ」と会えなくなって、ユリと過ごした日々を回送する場面。

 ユリの良いところを思い出す。
 ねぐせや、キツネ。
 照れた顔。
 「磯貝くん」と甘く、何度も呼んでくれること。
 うなじ。
 寝転がって、後ろから触るのがとても楽しかった。
 真っ黒な剛毛。透き通る白い毛。半分までは黒い毛。交じり合っているところを、何度も触った。
 上に手ぐしで梳かし上げると、どうやって髪が生えているのか丸わかり。あんなに愛しいものはなかった。
 (山崎ナオコーラ「人のセックスを笑うな」より)

そう。恋愛というものは。
そういうものなのだ。
美しいもの。素敵なこと。そうではなくて。それだけでもなくて。

たとえば。お腹が少し出ているところ。
たとえば。ご飯を食べるともっとお腹が出るところ。
お腹出ているよ?というと、そんなことない出してるだけと言い訳をするところ。
調子に乗ると出る、変な振り付け。替え歌やだじゃれ。
ミッキーマウスみたいな寝顔。汗くさいうなじ。

そういうふとしたところを。
ひとはいとしいと思う。

かっこういいとかやさしいとか仕事ができるとかあったかいとか
きれいだとか尊敬できるとか頼りになるとか誠実だとか

それよりもずっと。
ひとりの夜に思い出すのはそんなところだ。
ふたりのあいだに流れる信頼と絆。ちいさなたくさんの愛情。

そういう、誰かを好きだという気分がこの作品には満ち満ちていて。
なんだかとてもうれしくなった。
好きなひとの声を聞きたくなった。
でも好きだというこの気持ちをそうっと抱えて眠るのも。
悪くないかもしれないとも思う。