あたたかい日がつづく。

昨夜は友だちと食事。
友だちと食事をするのは本当にひさびさの・・・1ヶ月とか2ヶ月ぶりになるんじゃないだろうか。
気の置けない友だちがいるということ。
ときどき会えるということ。
それはやっぱりかけがえのないことなのだと思う。

仕事やそれぞれの状況やこれからのことをたくさん話す。
友だちみんなにそれぞれ大変なことやうれしいことがあって
私自身もみんなにもいくつかのいろいろなことがあって
そしてお互いに笑ったり励ましたりいたわりあえる。
こんな夜があればだれだってきっとだいじょうぶなはずだ。
だいじょうぶなはずだけれども。
大変なことが立て続けに起こっていた友だちのことをやはりとても心配に思う。

深夜。友だちからメール。
私のことを心配してくれるそのやさしくまっすぐな言葉に
ついつい思いっきりの本音をぶつけた。不安とか悲しさとか。そんなことを。
夜のメールはいつだってこころの蓋をあけてしまう。かんたんに。

そのひとは、いつだっていろいろなひとたちに胸襟をひらいてひとを迎えてくれるひとだ。
だからそのひとのまわりには、いつもいろいろなひとが集まる。誰も拒まない。
だからこそ甘えちゃいけないと思っているのに・・・少なくとも私くらいは甘えすぎない存在でいようと思っていたのに…やっぱり思いっ切り甘えてしまった。
メールを送ったあとに、思った。
また背負わせちゃったかな。ゴメンナサイ。
度量がひどく深いひとだから、背負ったとも思っていなさそうだけどね。

今朝、そのひとから返事がきていて。
それはほんとうにまっすぐないたわりと、そして具体的な提案に満ちていて。
とても感心して感謝した。
私もこんなふうに。誰かのこころが弱っているときに、そっと手をさしのべられたらいいのにと思う。
そしてその友だちがいつかなにかにこころを傷めたときには、
私にしてくれたこと、あるいはそれ以上のぬくもりを。そしらぬ顔で送れたらと思う。
あ、やっぱりなんか違うな。
たぶん私はそのひとのように、そこまできちんと手をさしのべたりはできないだろう。
だけれども。少なくともそのひととか身のまわりの何人かのひとたちが
苦しんだり悩んだりかなしいとおもう夜に。気づけるひとでありたい。
いつだってそうありたい。

裏庭の桜は満開。
みごとな夜桜を見上げるしあわせ。