故あって、数日前から10年ほど前からのダイビングの記録を引っ張り出してみている。

ダイバーのかたはご存知だと思うのだが、スキューバダイビングをするときには、1本1本、記録をつけておくのが慣例だ。
エントリー/エギジットタイムにはじまり、最大水深や透明度(どれくらい海中が透明かというもので、水平と垂直両方の透明度合いをメートル単位で目測する。30メートル先まで見えるとすると、したがって「透明度30メートル」という)、使用したおもりの重さやタンクに残った酸素の量なども記入しておく。
ひとによっては見た魚とか、海況なども丁寧に記録しているのだけれども、元来不精な私は、上記のような最低限のメモと、あとはなにか特徴的なことがあったときだけ、一行程度の走り書きを残している。

私がダイビングをはじめたのは、大学4年の春休みのことで、
したがってログブック(とダイビング界ではいう)は、1997年2月26日からはじまっている。

no1 02/26/97 サイパン ラウラウビーチ(オープンウォーター講習)
no2 02/27/97 サイパン オブジャンビーチ(オープンウォーター講習)
・・・
no3 05/24/97 大瀬崎 (アドヴァンスド講習)
・・・
no9: 08/11/97 セブ hadsan
no10 08/11/97 セブ hiltangan
・・・
no16 08/23/97 三宅島 ケラマ根

no.18 10/08/97 宮古島 wall cave
no.19 10/09/97 宮古島 アントニオガウディ

no.25 04/26/98 シパダン drop off(r)
no.26 04/26/98 シパダン south point turtle→patch

とこんな具合で、いったい一年間にどれだけの場所に潜りに行っているのだ?と少し呆れつつ、あの頃の、本当に海と潜ることが大好きな気持ちがとても強く甦ってくる。

長い休みが近づいてくると、次はどこへ行こうかと思いをめぐらせ。
どこかの海でさんざん潜り、そうして海から出ると次に潜る場所のことを考えていた。

人間は地上のものしか見られない。
けれども。海のなかには、地球と同じように世界があって、生活があるのだ。
そうしてまったく同じ光景というものには、二度と出会えない。
それもまた地上と一緒だ。

いまはあのころよりは潜りに行かない。
いっとう最近に潜ったのは、確か一昨年の秋まで遡る。
でも海に対する気持ちが変わったわけではなくて。あのころと一緒で。
どきどきするし大好きだと思う。

そんなことを思い出したりした。

初めてライセンスを取ったサイパンもひとりだったから、私にとってひとりでダイビングに行くのは当たり前のことだ。
現地で一緒になった誰かしらとバディを組む。
なにも問題ない。人種が違っても海を好きだということは一緒だから。
ときには友だちと潜ることもあるし、それはそれで楽しいものだ。
そういえば恋人という存在と潜ったことはいちどもない。というよりも、ダイバーと付き合ったことがない。
恋人がダイバーだったら素敵だろうなあと思うけれども。

それにしても世界の海況はどんどん変わってきてしまっていて(私はダイビングをやめようと思うほどエコロジストではないけれども)、もう潜れない海も出てきてしまうのだろうなと思う。
現に私がいっとう好きな海があるちいさな島も、環境破壊の影響で島に上陸できなくなってしまった。
いまそこに潜りに行こうと思ったら、私が訪れたときよりもずっと多くのお金と時間を費やさなければならないだろう。

今度はいつどこで潜るのだろう。
いまのところ潜る予定はたてていない。
でも私のことだ。気が向いたらまたふらりと潜りに行くのだろう。
いつか。どこかの海へ。