いま発売中のBRUTUS。
「おいしいコーヒーの教科書」と銘打って、数々のおいしい(らしい)コーヒー店や豆のお店を紹介している。

駅の売店で表紙を見て、なかをぱらぱらと見て。
家に帰ってじっくり読んだ。

あのお店が載っているに違いない。

というある期待をもって。

結果からいうと、そのお店は載っていなかった。
おかしい。
このタイトルの本で、あのお店が載っていないなんて
敢えて差別表現をつかわせてもらうが、まさに片手落ちである。
BRUTUSの編集部の情報収集能力を疑う。
実際、この号のBRUTUSに載っている豆はいくつか飲んだことがあるけれども。
あのお店、のほうがおいしいのになあとか。
あのお店、が載っていても遜色ないのになあと真に思う。

その、「あのお店」というのは、
私がいつもコーヒー豆を買い求めているお店のことである。
ここではまだ名前はいわない。
決してもったいぶっているわけではないけれども、
確かまだwebサービスがリリースしていないから。
(そろそろリリースしていると思うのだけど、まだ確認がとれていない)

私はそのお店の豆で珈琲を淹れるようになってから、
他の市販の豆の珈琲が飲めなくなったし、
いわゆるコーヒーチェーン店のお店の珈琲を飲むと気持ちが悪くなるようにまでなったし、
珈琲がおいしいといわれるお店の珈琲も、それはもちろんとてもおいしいとは思うけれども。
それに喫茶店で過ごす時間がとても好きなので、喫茶店通いは辞められないけれども。

それでも私には。
家に帰っても「あの珈琲」があるのだ。
と思えることはすごいことだ。

あのお店の豆は、格別に鮮度が大切なので、少しずつ豆を取り寄せて飲んでいる。
そして先ほどふと冷凍庫の保存パックを見たら、
なんとあと少しで切れてしまうことに気が付いた。
危ない危ない。
ということで、慌てて送ってもらうようにお願いをした。

いまも淹れたての珈琲を飲みながらこの日記を書いている。
なんとも芳しいかおり。味わい。
きっとあと少ししたら、Webサイトがリリースするはずなので、
そうしたらここでこれを読んでくださっているみなさんにもご紹介したいと思う。