江國香織さんの「ぬるい眠り」という文庫を買ってきた。
江國さんは、好きな作家さんのひとりなので、たいてい出版された本は買う。
(唯一どうにも好きになれなかったのは「東京タワー」だけである)
「ぬるい眠り」の巻頭に載っている「ラブ・ミー・テンダー」が、私はとても好きだ。
老人性痴呆症である母とその夫である父、そして娘である「私」とその夫。
この4人が織り成す、やさしいはなし。
慎ましやかだった母は、30を過ぎて突然エルビス・プレスリーの大ファンになり、髪にパーマをかけて毎晩ダンスホールに行ったりプレスリーのレコードをかけたりべたべたとポスターを貼ったりする。
娘である「私」は困惑し、父もとんだ迷惑だろうなと「私」は思う。
結婚して家を出た「私」のところに、年老いて痴呆がすすんだ母からある夜、電話がかかってくる。
曰く、「エルちゃんが毎晩電話をかけてくれる、そしてラブ・ミー・テンダーを歌ってくれるのだ」と。
ついにここまで痴呆が進んだかと「私」は思い、慌てて車で実家に行く。
ほんとうに電話がかかってくるのだ、なんならかかってくるまで待つといいという母に、それならとプレスリーからの電話を待つ「私」と父。
しかしその夜、プレスリーからの電話はいっこうにかかってこない。
しびれを切らして「くだらない、俺は寝るぞ」と父は自分の部屋に行き、「私」は夫の待つ家へと車で戻る。
その道すがら。
実家の近所の公衆電話に、「私」はラジカセを持った父の姿を見つける。
毎晩、老いた母に「ラブ・ミー・テンダー」を贈っていたのは、「エルちゃん」ではなく父だったのだ。
「私」はふいに涙ぐみたいような気持ちになり
夫と息子と犬の待つ家へと帰っていく。
…
なんともロマンティックな話である。
ロマンティックでやさしい。あたたかい話。
読んでいてすこうし涙が出る。あたたかくやさしい涙。
誰かのことをいとおしいと思うとき。
誰かにいとおしいと思われるとき。
私はこういうふうでありたいなと思う。
うまくいえないのだけれども。
たとえば年老いて痴呆になった愛するひとに
黙って「ラブ・ミー・テンダー」を届けることができるような。
たとえば年老いて痴呆になったときに
「ラブ・ミー・テンダー」が届くような。
江國さんは、好きな作家さんのひとりなので、たいてい出版された本は買う。
(唯一どうにも好きになれなかったのは「東京タワー」だけである)
「ぬるい眠り」の巻頭に載っている「ラブ・ミー・テンダー」が、私はとても好きだ。
老人性痴呆症である母とその夫である父、そして娘である「私」とその夫。
この4人が織り成す、やさしいはなし。
慎ましやかだった母は、30を過ぎて突然エルビス・プレスリーの大ファンになり、髪にパーマをかけて毎晩ダンスホールに行ったりプレスリーのレコードをかけたりべたべたとポスターを貼ったりする。
娘である「私」は困惑し、父もとんだ迷惑だろうなと「私」は思う。
結婚して家を出た「私」のところに、年老いて痴呆がすすんだ母からある夜、電話がかかってくる。
曰く、「エルちゃんが毎晩電話をかけてくれる、そしてラブ・ミー・テンダーを歌ってくれるのだ」と。
ついにここまで痴呆が進んだかと「私」は思い、慌てて車で実家に行く。
ほんとうに電話がかかってくるのだ、なんならかかってくるまで待つといいという母に、それならとプレスリーからの電話を待つ「私」と父。
しかしその夜、プレスリーからの電話はいっこうにかかってこない。
しびれを切らして「くだらない、俺は寝るぞ」と父は自分の部屋に行き、「私」は夫の待つ家へと車で戻る。
その道すがら。
実家の近所の公衆電話に、「私」はラジカセを持った父の姿を見つける。
毎晩、老いた母に「ラブ・ミー・テンダー」を贈っていたのは、「エルちゃん」ではなく父だったのだ。
「私」はふいに涙ぐみたいような気持ちになり
夫と息子と犬の待つ家へと帰っていく。
…
なんともロマンティックな話である。
ロマンティックでやさしい。あたたかい話。
読んでいてすこうし涙が出る。あたたかくやさしい涙。
誰かのことをいとおしいと思うとき。
誰かにいとおしいと思われるとき。
私はこういうふうでありたいなと思う。
うまくいえないのだけれども。
たとえば年老いて痴呆になった愛するひとに
黙って「ラブ・ミー・テンダー」を届けることができるような。
たとえば年老いて痴呆になったときに
「ラブ・ミー・テンダー」が届くような。