ということで、「いちばん印象に残るデート」である。
いちばん。と聞かれるととても難しい。

たとえば。
もう別れることが決まっていた恋人との最後のデートのこと。


その毎年恒例となっていた、秋の秩父へのピクニックを。

別れる前から決まっていたからと、確か無理矢理に敢行したのだけれども。

ちょっとしたことで私はすぐに涙が出てきて(当たり前だ)、まともに話もできなかった。

その日、なぜかはもう忘れたけれども、渓流のようなところを歩いて渡ることになって。

足をとられそうでこわいといった私を彼はおぶってくれた。

彼の背中で。

この背中を感じるのはもう最後なのだ、そう思ったらまた涙が出た。

何度でも涙は出るのだ。

その背中はあまりにもあたたかくて。

別れようといわれたことのほうがうそのような気がして。

勇気をふりしぼって。もうやり直せない?と聞いたら。

ごめん、と彼は背中の向こうでこたえた。

ごうごうという川の流れに紛れて私は。聞こえないふりをして。

何度目かの涙をまた流した。

そんなデートのこと。


たとえば。

携帯電話がまだ世の中には出まわっていない時代のこと。

冬の駅の待合室で、私は恋人を待っている。

とてもとても寒い季節で。

かじかむ手をポケットに入れたりこすりあわせたりしながらずっとそのひとを待っている。

1時間たち2時間たち。どうして遅れているのかもわからずに。

当時はなにしろ高校生だったので、職場に電話するという知恵もなく。

結局、そのひとが現れたのは5時間後。

仕事でトラブルがあってどうにも抜け出せなかったと何度もごめんごめんと彼は謝って。

その遅刻で私たちに残されたのは1時間しかなくなり(高校生だから門限があったのだ)。

行く予定だったところまで電車で行って、駅から出ることもなくそのまままた帰ってきた。

1時間をいとおしむように電車のなかでずっと手をつないでいたこと。

携帯電話がある現代では考えられないことだ。