年末。とてもこころを動かされる話を読んだので、書きとめておこうと思う。

冒頭の句はつい先だっての12月、短すぎる生涯を閉じた男の子が詠んだものだ。
有国遊雲くん、享年15歳。

小学校6年のときに小児癌にかかり。
以降、お寺の住職さんであるお父さま、そしてお母さまとともに、病と向き合い続ける。

「高校生の遊雲とは会えないかもしれないな」
とは、小学生の遊雲くんにお父さまが伝えた言葉である。

なんと潔く、かなしい言葉であろうか。
お父さま、お母さまの気持ちを思っても。遊雲くんの気持ちを思っても。

以後、手術やさまざまな治療をつづけたけれども。
去年の4月、右足に癌が再発する。
癌と縁が切れるなら、と足の切断を選択したにもかかわらず、一ヵ月後には肺や骨盤に転移。

「出口と思ってドアを開けたら、まだ道がある」
そういった遊雲くんに、お父さまはこう告げる。
「父さんなら、やりたいことを全部するには300年かかる。
間に合わなければ生まれ直すさ」

…。

川が好き 川にうつった 空も好き

この句は、遊雲くんが地元の清流を思って病床で詠んだものだそうだ。
病床でいつも「支えてくれたひとに何が返せるか、世の中の役に立ちたい」といい続けたという遊雲くん。
その思いがひとつ叶い、この句は碑になって山口県の河川に建つ。

そうして先月の2日。
3年間の闘病生活の末、遊雲くんは息を引き取ったのだ。
まわりへの感謝の言葉を言いながら。

この話は、実家に帰省しているとき、たまたま目にした新聞に載っていたものだ。
死を見つめ、同じくらいに生を見つめ。
最期まで生きることをがんばった、15歳の少年と。両親の話。

彼や彼らの生きかたを、他人に比するのはやめよう。

ただ私は思う。忘れないでいようと思う。
私自身の。そして私が大切に思うひとたちの。
生きていること、生かされていることの尊さ。喜び。感謝。

(遊雲くんの話の部分は、朝日新聞12月31日の朝刊より抜粋しています)