友人とともに、大学のときの先輩と会った。
先輩は私たちが1年生のときの3年生で、3年生のなかでもとりわけ怖そうなというか、気難しそうなひとだった。

180センチはゆうに超える長身で、当時はまだ珍しかったロングヘアを金髪に染めて、ピアスをして、ブーツカットの派手な色のパンツをはき、フェイクファーのジャケットかなにかをはおっていた。

そのくせ大学野球のときは背筋をぴんと伸ばして、誰よりも腕を高々とあげて校歌や応援歌を歌っていた。
サークルの部室で自分が撮った映像の編集をよくしていた。
ガンダムを愛し、いつも片手に文庫本を持ち、時々小説を書いていた。

とにかくそんなふうにして、その先輩はいかにも取り扱い注意というようなひとだったのだ。少なくとも私にとっては。
話しかけられるとドキドキ(というかびくびく)したし、私からは滅多に話しかけることもできなかった。

卒業してから10年も経ついま、先輩と銀座の割烹で飲んでいる。
小料理をつつきながら、杯を傾ける。
なんだか不思議だ。

いろいろな話をした。
学生時代の思い出。卒業してからのこと。仕事のこと。結婚と恋愛。家庭生活。
もっと昔の青くさい話。胸がきゅんとなるような。

ものすごくずしんとくることも言われたし、そのとおりだとも思った。
先輩はとても客観的で、でも親身に客観的で、だから私はこの人をとても信用できると思ったし、自分の思っていることや悩んでいることを打ち明けて相談できると思ったし、もっと早くからこうして飲みに行きたかったなとも思う。
だいたい相談ができる、という相手なんて実際殆どいないのだから(友人関係の会話は〝相談〟とは質が違うものね)。
やっぱり先輩は先輩なのだ。人生の師だ。少なくともいくつかの部分では。

ただもっと早くに会っていても、こんなふうな気持ちにはならなかったかもしれない。わからない。
やっぱりお互いに人生経験というものを積んで会ったからこそ成り立った会話と時間なのだとも思う。

怖かったという印象は、どうやら私の誤解だった部分もあったようだ。
ひとの本質が見抜けるほど私はきちんとした目を持っていなかったし(それはいまでもそうだけれど)。

もちろんくだらない話もたくさんした。
もともと今夜は、くだを巻きたい!仕事と家庭生活の!!という趣旨の会だったので、たくさんくだも巻いてもらった。

先輩と夜の銀座で別れてから、一緒に飲んだ友人と駅まで歩いた。
そうして人生のいざというときには先輩に会って確かめてほしいよね、というようにいいあった。

時間が経つっていいことだ。大人になるって本当にいいことだ。
そうしてなにはなくとも私には、こうしていい夜が過ごせる友人がいて先輩がいる。
そのことにたくさん感謝したい。
今夜もまたそんなふうに思う。