なんとなく思い立って料理の本を買った。
ぶりの照り焼き。ハンバーグ。しょうが焼き。
その本は、そんな毎日の食卓にのるような当たり前でありきたりな…いちいち料理の本を見なくてもつくれるようなもので埋め尽くされていて、
ぱらぱらと見ていると、だからこそなんだかとてもほっとする。
週末と、あとはときどき平日の夜につくるだけの私の料理は
ここのところどうも似通ったものになってきている。
だからその料理の本のなかの当たり前のメニューのなかには、当たり前なんだけれどもしばらくつくっていないメニューもたくさんあって。
ああこれなんか今度の週末につくろうかなとか。
そういえばこれは昔よくつくったなとか。
そんなことを思いながら料理の本を見ている。
ときどき料理の本を買う。
その「ときどき」のタイミングは、たいがいが新しい恋人ができるときだ。あるいは季節が変わるとき。
どうしてか新しい恋人ができると新しい料理をつくりたくなる。
あるいは新しい恋人の好きなものをつくりたくなる。
自分のレパートリーにはないレシピ。
だから料理の本には、そのときに付き合っていたひととの記憶がたくさん閉じ込められている。
時折付箋とかメモなんかがはさまっていて、それが懐かしいひとの文字だったりするとどきっとする。
そうしてひとり恥ずかしいような気持ちになる。
そんなことがあるから、料理の本を新しくする、のかもしれない。
ぶりの照り焼き。ハンバーグ。しょうが焼き。
その本は、そんな毎日の食卓にのるような当たり前でありきたりな…いちいち料理の本を見なくてもつくれるようなもので埋め尽くされていて、
ぱらぱらと見ていると、だからこそなんだかとてもほっとする。
週末と、あとはときどき平日の夜につくるだけの私の料理は
ここのところどうも似通ったものになってきている。
だからその料理の本のなかの当たり前のメニューのなかには、当たり前なんだけれどもしばらくつくっていないメニューもたくさんあって。
ああこれなんか今度の週末につくろうかなとか。
そういえばこれは昔よくつくったなとか。
そんなことを思いながら料理の本を見ている。
ときどき料理の本を買う。
その「ときどき」のタイミングは、たいがいが新しい恋人ができるときだ。あるいは季節が変わるとき。
どうしてか新しい恋人ができると新しい料理をつくりたくなる。
あるいは新しい恋人の好きなものをつくりたくなる。
自分のレパートリーにはないレシピ。
だから料理の本には、そのときに付き合っていたひととの記憶がたくさん閉じ込められている。
時折付箋とかメモなんかがはさまっていて、それが懐かしいひとの文字だったりするとどきっとする。
そうしてひとり恥ずかしいような気持ちになる。
そんなことがあるから、料理の本を新しくする、のかもしれない。