昨晩から長野にいる。
朝晩はもう寒いくらいだよと長野に住む友だちからメールをもらっていたけれど、今日は朝からとても暑い。
昨日は弟がきたので、両親も含めて4人で食事をした。
母は子どもたちの好きな料理をたくさん用意しようとする。おとなになった私たちはもうそんなに食べられないのに。
長いも(とろろ)と納豆、両方つくるね。とか。
両方ともご飯にかけて食べるものだからどちらかだけでいいよというと、遠慮しなくていいのにくらいの顔をされる。
料理の手伝いをしながら、そういうところは本当に変わらないなあと思う。
弟とは最近の仕事の話や、来月に行くというスペイン旅行の話(夏休みなのだそうだ)などをする。
バルセロナでゆっくりガウディを見ることや、本当はラ・マンチャにも行きたいのだけれど時間的に難しいからあきらめるかもしれないことなど。
深夜、自分の家に帰るという弟を見送る。
翌日は勉強会があって朝の新幹線に乗り、日帰りで東京に行くのだそうだ。
弟は学会だの勉強会だのでしょっちゅう出かけている。
本当に勉強が好きだねえ。といったら、どうやらそうみたい、と笑っていた。
次に弟に会うのはお正月だろうか。
仕事柄お盆や年末年始は休めないだろうから、ほとんど会えないのかもしれない。
今日は高校の同級生とランチ&お茶。
ずいぶんと長い時間、いろいろな話をした。
彼女は一昨年までずっと東京で働いていて、去年、実家に帰った。
とても大きな決断だったと思う。
ずいぶんと悩んだり迷ったりしたし、東京に戻ろうかと思ったこともたくさんあったといっていたけれど。
いまは長野ののんびりした暮らしを楽しめるようになったと彼女はいっていて。
確かに去年会ったときよりも、ずいぶんといい表情になったと思う。
私もそうだといいなと思う。去年よりもいまのほうがいい顔をしていたい。
近々の再会を約束してさよならをし、また実家に戻り、ちょうど犬の散歩に行こうとしていた父とお墓参りにいく。
父と犬の散歩をするなんて、本当に20年来くらいのことだ。
あのころ飼っていた犬はもういなくて、いまは3代目の柴犬が一緒。
父方の先祖が眠るお墓に線香をあげ、少し散歩をして帰ると、猫がにゃーといいながら迎えに出てきた。
夕暮れ。庭の花木が薄闇につつまれていく。
こおろぎやすずむしや、すいっちょんと鳴く虫の声。
お茶をいれて、畳の上にごろんと横になって新聞を読む。
なんだか泣きたい気持ちになった。
私が求めているものは。いったいなんなんだろう。
いつのまにか、長野は行く場所で東京は帰る場所になった。
東京に〝行く〟という言葉のほうが、いまではずっと違和感がある。
思えば15年近く東京にいるのだ。
長野も好きだけれど、でもいま私は東京のほうに馴れている。
東京が好きかどうかはわからない。
ただもっとゆっくりとしていて緑がたくさんあって空がひろいところで暮らしたいとは思う。
でもいまはそうもいかない。それよりも優先しなくてはならないことがたくさんある。気がする。少なくともいまは。
それでもときどきわからなくなる。
このさき私はどうするのかな。どうしたいのかな。
明日の朝、母方のお墓まいりをしたら。
また東京へ戻る。東京へ。
朝晩はもう寒いくらいだよと長野に住む友だちからメールをもらっていたけれど、今日は朝からとても暑い。
昨日は弟がきたので、両親も含めて4人で食事をした。
母は子どもたちの好きな料理をたくさん用意しようとする。おとなになった私たちはもうそんなに食べられないのに。
長いも(とろろ)と納豆、両方つくるね。とか。
両方ともご飯にかけて食べるものだからどちらかだけでいいよというと、遠慮しなくていいのにくらいの顔をされる。
料理の手伝いをしながら、そういうところは本当に変わらないなあと思う。
弟とは最近の仕事の話や、来月に行くというスペイン旅行の話(夏休みなのだそうだ)などをする。
バルセロナでゆっくりガウディを見ることや、本当はラ・マンチャにも行きたいのだけれど時間的に難しいからあきらめるかもしれないことなど。
深夜、自分の家に帰るという弟を見送る。
翌日は勉強会があって朝の新幹線に乗り、日帰りで東京に行くのだそうだ。
弟は学会だの勉強会だのでしょっちゅう出かけている。
本当に勉強が好きだねえ。といったら、どうやらそうみたい、と笑っていた。
次に弟に会うのはお正月だろうか。
仕事柄お盆や年末年始は休めないだろうから、ほとんど会えないのかもしれない。
今日は高校の同級生とランチ&お茶。
ずいぶんと長い時間、いろいろな話をした。
彼女は一昨年までずっと東京で働いていて、去年、実家に帰った。
とても大きな決断だったと思う。
ずいぶんと悩んだり迷ったりしたし、東京に戻ろうかと思ったこともたくさんあったといっていたけれど。
いまは長野ののんびりした暮らしを楽しめるようになったと彼女はいっていて。
確かに去年会ったときよりも、ずいぶんといい表情になったと思う。
私もそうだといいなと思う。去年よりもいまのほうがいい顔をしていたい。
近々の再会を約束してさよならをし、また実家に戻り、ちょうど犬の散歩に行こうとしていた父とお墓参りにいく。
父と犬の散歩をするなんて、本当に20年来くらいのことだ。
あのころ飼っていた犬はもういなくて、いまは3代目の柴犬が一緒。
父方の先祖が眠るお墓に線香をあげ、少し散歩をして帰ると、猫がにゃーといいながら迎えに出てきた。
夕暮れ。庭の花木が薄闇につつまれていく。
こおろぎやすずむしや、すいっちょんと鳴く虫の声。
お茶をいれて、畳の上にごろんと横になって新聞を読む。
なんだか泣きたい気持ちになった。
私が求めているものは。いったいなんなんだろう。
いつのまにか、長野は行く場所で東京は帰る場所になった。
東京に〝行く〟という言葉のほうが、いまではずっと違和感がある。
思えば15年近く東京にいるのだ。
長野も好きだけれど、でもいま私は東京のほうに馴れている。
東京が好きかどうかはわからない。
ただもっとゆっくりとしていて緑がたくさんあって空がひろいところで暮らしたいとは思う。
でもいまはそうもいかない。それよりも優先しなくてはならないことがたくさんある。気がする。少なくともいまは。
それでもときどきわからなくなる。
このさき私はどうするのかな。どうしたいのかな。
明日の朝、母方のお墓まいりをしたら。
また東京へ戻る。東京へ。