だれかを疑いながら生きるのはしんどいことだ。
特にそれが自分にとって大切で信頼をおいているひとの場合。


ちいさな嘘をつみかさねたり
大切なひとを大切にしなかったり
それをとりつくろうためにまた嘘をついたり


そういうひとっていままでいなかったから
(それとも私が気づかなかっただけなのかも知れないけれど)
そういうことをされるとほんとうに参ってしまう。


疑われることを、それもくりかえしするほうが悪いのか
いつまでもかんぐっているほうが悪いのか


ああまた嘘をつかれちゃったなあというそのときどきに
あきらめだけではなくて怒りを感じるのは
きっと私がそれでもまだ信じたいとか信じているという証拠なのだ。


毎日こころのつかえとかくもりとかまよいとかがない状態で生きられたら
どんなにかいいことだろう。


そしていっぽうで
いま目の前にある事実を
シンプルに受け止められる自分になりたい。


たとえばいま目の前にある
やさしさとか思いやりとか
そういうことを
うがった目で見たりほかの事実をつきつけたりしないで
素直にそのまま受け止められる自分になりたい。戻りたい。
そのやさしさに対してありがとうといえる自分。


私ってそもそもそういう子だったはずなんだけど。