近日中に会社の同僚と先輩と食事にいくことになり、
ラ・バスティード を予約することにした。
同僚はゆくゆくはレストランをつくりたいといっているような食べ好きだし、先輩はおいしいものを食べなれている大先輩だ。
恥ずかしいお店に連れて行くわけにはいかない。
というわけで、ラ・バスティードを選んだ。
幸い席が空いていて、無事に予約ができる運びとなる。
電話にて、苗字を告げる。
と。
あれ、ナオさん?大谷です。
なんと電話に出られていたのはシェフの大谷さん。
まさか大谷さんが電話に出ていらっしゃるとも思っていなかったので、
ご無沙汰しています、なんてご挨拶をする。
すると大谷さんは、あーあー、間に合わないやーなんて残念そうにおっしゃりはじめた。
???
いや実はね、ナオさんが書いていた内装のこと、本当は前から変えよう変えようと思っていて、今度変えることになったんですよね。でも今度いらっしゃるときには間に合わないなあー。
???
まさか。まさか。
まさか大谷さんは、私が書いたラ・バスティードについての日記を読んでいるということ?
そのまさかは的中していた。
簡単にいうと、私はその日記でラ・バスティードの内装を、まあいうなれば酷評し、大谷さんと大谷さんがつくる料理を賞賛した。
大谷さんは、それをきちんと読んで、感じて、理解してくださったのだ。
私がほんとうに伝えたかったことを含めて。
そうしてお礼をいってくださった。
書いてくださってありがとう、と。
お礼をいわなくてはいけないのは私のほうなのに。
それにしても嫌な汗をかいた。嫌な汗。冷や汗。
すごいなあと思っているご本人にご本人を書いたものを読まれる恥ずかしさ。
決して無責任なことは書いていないつもりだけれど。
むしろその逆で、見たこと感じたことをそのまま書くことをこころがけているけれど。
だからときには歯に衣着せぬ表現を使うこともあるし、ある素晴らしいことを賞賛するために、対比としてあるものを(あえてとりあげなくてもいいかもしれないことも)、それが事実として存在する場合に限っては、書くことがある。
ただいつだってこれだけは守ろうと思っているのは。
感じたことに正直であること。
行ったお店をすべて書くのではなく、書くに値すると思ったお店だけを書くということ。
うーん少し違うかな。
書きたいと思ったお店についてだけを、書きたいと思ったときに書く。
このほうが正しいかもしれない。
先日も日本一と呼び声が高い某グラン・メゾンに久しぶりにお邪魔したけれど、悲しいかなその日のそのレストランのその食事について、私は書くべき内容をなにひとつ持たなかった。だから書かない。
それにしても大谷さんはとても真摯な方だ。
内装のことなんて私にいわなくたっていいはずなのだ。
黙ってするっと変えてしまえばいい。
でもちゃんと私に伝えてくれる。
料理には料理人の人柄が出る。
何度も書いていることだけれど、大谷さんとお話をして、それをまた実感する。
真摯で熱烈。常なる進化。
ということで。
お会いするのを楽しみにしてます、大谷さん。