昨日、高校野球の決勝戦を見た。
引き分け再試合となった、駒大苫小牧×早稲田実業の試合。
勝ちたいと強く思ったほうが勝つのだとか
心が折れたほうが負けなのだとか
ひとはいろいろなことをいうけれど。
どちらも勝ちたかったし負けたくなかったと思う。
最後のほうなんてもうしびれてしまった。
絶対に打ち取るのだという両投手と、絶対に打ってやるという打者の気持ちのせめぎあい。
苫小牧の4番打者と早実のピッチャーの勝負はもう息を止めて見つめてしまうくらいに凄烈なものを感じた。
凄烈。それなのに同じくらい静謐さを感じるのは何故なのだろう。
お互いに尊重しあっているということなのかもしれない。もしかしたら。
今日の再試合で、勝ったのは早実だったけれど。
だからといって駒大苫小牧の選手たちが、負けても仕方がないとか勝たなくてもいいやとか思っていたとは到底思えない。
もちろん早実の選手たちだってそうだ。
みんな一生懸命頑張ったのだ。
みんな勝ちたかったと思うのだ。
だからどちらの選手たちにも…試合に出た子たちにも、出られなかった子たちにも、それを支えてきたひとたちにも、
私はちゃんと拍手を送ろうと思う。
決勝戦をうつすテレビ画面から〝紺碧の空〟がときどき聞こえて。
懐かしいなあと思いながらそのメロディを聞いていた。
大学のころに毎年行っていた神宮球場を思い出した。
神宮でだれかれともなく肩をくんで歌う、紺碧。都の西北。
しかしいつのまに早実は早稲田から移転したのだろう。
全然知らなかった。
しかも男女共学になっているではないか。
いまでも一年に一度は大学に行っているのにどうして気がつかなかったのだろう。
学生の頃は。
無駄に多い小汚い大学生と、乱雑で古めかしい校舎と、何故か全員野球部に見える早実の中学生と高校生と、商店街のあったかい(たまには怖いひともいた)おじちゃんおばちゃんと、そんなものにあの街は埋め尽くされていて、そしてそんなものたちが私はとても好きで。
それらの光景は未来永劫変わらないように思っていたのに。
そういえば子どもの頃から高校野球が好きで、
夏休みにはいつも高校野球を見ていた。
私が小学生の頃のヒーローは、PL学園の桑田さんと清原さんだった。
ずっと年上のお兄さんたちが頑張っているもの。
それが高校野球の印象なのだけれど。
お兄さんが友だちになり弟になり、いまやその年の子どもがいても法律違反ではないくらいまできてしまった。
いつのまにやら。
知らないうちに世の中はずいぶんと変わっているものなのだ。
このように。いつのまにやら。