5年前のちょうど今ごろ。
私は長野の大きな病院で、父の手術が終わるのを待っていた。


その数週間前に、たまたま人間ドックを受けた父は、検査結果を知るときに医師から肺癌を告げられた。
それもすぐに手術を受けないといけませんよ、と。


父の肺癌がわかってから、私は週末ごとに東京から長野の実家に帰った。
お父さんと一緒に死ぬんだといって泣く母を、お父さんは死んだりしないからと慰めながら。
父の言いつけでいざというときのための準備をすすめた。


私の実家は自営業で、実質父がひとりで会社を支えている。
父は私の前にさまざまな重要な書類を持ってきて、
事業全体の説明や、この分野についてはこのひとに助けてもらえとか、これこれについてはいついつまで絶対に誰にもいうなとか、こういう状態になったらこの商品をいくらで売り抜けとか、そういう実際的な話をたくさんした。


そうしてそんな実質的で具体的な話をしながら。
俺はまだ死にたくねぇなぁ。と父は男泣きに泣いた。
ふだんから涙もろい父ではあるけれど、あんなふうに真っ赤になって泣く父を私ははじめて見た。


幸い手術は成功する。
でも父の癌は、それでも5年内生存率は5%以下という癌だった。


5年。
その言葉と時間の長さを。私たち家族は強く意識しながら過ごしてきた。
1年1年を大切に祈るように過ごしてきた。
きっと誰よりも父本人が。


5年のあいだに。
父の回復を願っていた父の父がやはり癌で亡くなり、父の親友で父の病気をとても心配していた方も癌で亡くなり、父も知っている私の昔の恋人も不意の事故でこの世を去った。


ひとの死や死の可能性というものは、ある日突然やってくる。
誰にでも。必ず。
そうしてそれはいつなのかはわからない。
明日かもしれないし、50年後かもしれない。
しかもそれは自分では決められないものなのだ。


私は父の身に起こったことや、身近なひとたちの死をとおしてそれを強く学んだと思う。
毎日を、だからこそ幸せに過ごさないといけないのだということを含めて。


そうして父は、今月〝5%のひと〟になる。
95%を克服した父の生きるちからと、幸運と、まわりのひとたちの支えにたくさん感謝したいと思う。