上野毛の〝あら輝〟に行ってきた。
噂にたがわぬとてもいいお鮨屋さんで、
店の雰囲気も味もいいし(鯛とあわびのつくりと鮎の肝の塩辛が素晴らしかった)、使っている器もかなりいいものだったし、店主もきっぱりとした方でとても満足した。
先日お邪魔した四谷の〝寿司金〟も相当なものだけれど、〝あら輝〟もまた素晴らしいお店である。
いつかゆっくりとこのお店についても書こうと思う。
さて〝あら輝〟でさんざんとおいしい鮨を食べた閉店間際。
店主と客人たちと会話をかわしているうちに、隣の席の私より少し年上と思しき男性が同郷の長野の出であることがわかった。
だいたい長野県出身のひとは、必要以上に〝同郷のよしみ〟を感じる傾向にある。
他聞に漏れず私もそうである。
しかもその男性は単に同じ県、というレベルではなく(同じ県であっても十分に親近感は湧くけれど)、なんと小学校まで一緒だったのだ。
これには本当に驚いた。
私の出身地は人口3000人もいない、もう少しで過疎になるような村である。
同じような年代で東京に残っているひとは殆どいない。
こういう偶然は本当に嬉しい。
そういえばいま住んでいる家の大家さんも同郷だ。
私が生まれ育ったところの隣の市のご出身。
入居するときには無料でエアコンをつけてくれたり、キッチンを新しいものに変えてくれたり、植物をくれたりしたので、やたらとサービスがいいなあと思っていたら、実はボクもナオさんと同じ長野の出身なんですよ、と初対面の開口一番におっしゃった。
いまでもなにかと面倒を見てくれる。
きっと〝同郷のよしみ〟なのだろう。
だから私も田舎から送ってきた葡萄や桃をおすそわけしたりする。
なんということはなくてもなんだか安心できる。
〝同郷のよしみ〟。
なかなかいいものである。