京都にはほかにも好きな場所がたくさんある。
真如堂の本堂に向けての階段、青蓮門院の大きな欅、河合寛次郎博物館etc.etc.
そういえば、清水寺のすぐそばに泊まったときに、早朝の清水寺を散歩した。
清水は修学旅行でも家族旅行でも何度も行っているお寺だ。
けれども。朝の冴えた空気のなか、ひとけがない清水寺は、いつもと違う顔をしている。それはそれは清らかで美しいお寺なのだ。
京都の初夏が好きだ。若葉からの木漏れ日が眩しい季節。
紅葉や桜の季節はいわずもがなだけれど、厳しい冬もいい。
雪がはらはらと舞うような日に寺を詣でていると、いつにもましておごそかな気持ちになる。
そもそも京都に最初に行ったのは、小学生のころ。家族旅行だったように思う。
私の両親は家族旅行が大好きだったので、年に数回、みんなで車に乗って旅行に出かけた。そのうちのひとつの行き先が京都だった。
いまよりも交通網が発達していなかった頃のことだ。
たいてい夜に家を出て、朝もやのなか目的の街に着く。
浅い眠りのなか目をあけると、外は高速道路だったり、サービスエリアの駐車場だったり、知らない街角だったりする。
目をあける度に、いまどこ?あとどれくらいで着く?と運転席の父に確認をした。
目的地に…それが旅先であっても、家であっても…近づいてくると安心した。
ワンボックスカーにたくさんの荷物を詰め込んで旅に出た。
運転するのはいつも父で。助手席はたいてい兄が独占する。
母と私とちいさな弟たちは後ろの席に並ぶ。
低く流れるラジオの音。父の背中。夜中の高速道路のオレンジ色のあかり。
サービスエリアで父のために買う眠気ざましのガム。朝もやのなかの街並み。
それが私の旅の原風景だ。
いま京都には兄が住んでいる。
彼は学生のころから京都に住んでいて、京都で就職をした。
学生のころ史学を学んでいた兄は、京都や奈良の名所旧跡をほとんど歩いているらしい。有名なところも、そうでないところも。
私が好きな京都は、すべて兄が案内してくれたり、教えてくれた場所だ。
兄が選ぶ場所は、いつもとても素敵。
静かで品があって心がしずまる。
きっと兄にとっての京都は、そういう場所なのだろう。
今年はいつの季節に京都に行こうか。
そのときはまた兄に素敵な場所を教えてもらおうと思う。