旧市街の広場は一年中お祭りみたいなもので、ぐるりと屋台がとまっている。
私はそのなかで、もっとも安いホットドッグスタンドの前に立ち、メニューをじっくり吟味した上で、私が持っている数枚のコインでまかなえそうななかでもっとも大きくおいしそうなホットドッグを選んだ。
Dejte mi toto,prosim.(これください)
Ano,chapu,rozumim.(はいよ、了解)
朝ごはんはとうに消化されている。お腹が空いてたまらない。
私はおじさんが焼いてくれるホットドッグをじーっと眺めた。
香ばしいパンの香りとしたたる肉汁。
しかし。できあがったホットドッグとともにおじさんに言い渡されたお金は、
私が思っていたものよりも少しばかり高くて、しかしそれは財布を逆さにしても足りないものだった。
おじさんが悪いのではなく、明らかに私の注文ミスである。
ごめんなさい。お金がなくて買えません。
この・・・安いほうのホットドッグと勘違いしてたから。
相当うなだれながらそう伝えたら(実際かなりうなだれていたと思う)。
少しだけ思案してからおじさんは言った。
いいよ、持っていきな。マスタードとオニオンはたっぷりとサービスだ。
そうして広場のおじさんは、大きなホットドッグの上に本当にたっぷりとマスタードを塗りつけ、オニオンをのせた。
私は夕暮れの広場の片隅で、ホットドッグを食べた。
そのホットドッグは、マスタードがたっぷりで少し辛かったけれど。
でも本当においしかった。本当に。
この美しい東欧の街の思い出を形づくるのは、
だから私にとっては広場のおじさんのホットドッグなのだ。
きれいな街並みや素敵なカフェよりもなお。
旧市街広場にて