今年もまた〝今日〟がやってくる。
今日は昔の恋人の誕生日。
すべての昔の恋人の誕生日を。
きちんと憶えているほど記憶力もよくないし。健気でも執念深くもない。
でも彼の誕生日を。
私は忘れない。たぶん一生忘れない。
はじめて彼の誕生日を祝ったのは。
もう10年以上も前だ。
3回連続でお祝いをしたけれど。4回目はなかった。
それは4回目の今日を迎える前に。ふられてしまったからだ。
だから4回目の彼の誕生日は。こころのなかでお祝いをした。
というのは嘘で。
誕生日おめでとう。というカードを送った。
いま思えばちょっと気持ち悪いし思い切りも悪いけど。
でも当時は結構必死だった。これを機にやり直そうと思ってくれないかななんて思ったりもした。
そしてそんな都合のいいことは起きるはずもなく。
5回目を過ぎるころには私にも新しい恋人ができた。
新しい恋人ができても。それでも〝今日〟は必ず彼のことを思った。
それは恋愛感情として〝思う〟のとはちょっと違って。
元気かなとか。なにしてるのかなとか。
〝思い出す〟のとちょっと似ている。
そうしてこころのなかで。「誕生日おめでとう」と思う。
6回目。7回目。8回目。9回目。10回目。
9回目を過ぎたころから。
彼と私の交友(?)は復活した。
もともとが大学のときの親しい仲間なのだ。
恋人どうしでなくなったからといって。あの楽しく濃密な時代まで否定されるわけがない。
新しい関係性は。お互いの存在は。
友だちでもない。恋人ではよもやない。
なんともいえない存在。なんともいえない、大切な。
たまたま彼はその頃、大きな悩みごとを抱えていたので。
私はたいていその相談に乗った。
赤坂見附のバーでいつも飲んだ。
昔話はほとんどしなかった。昔の仲間の近況報告ですら。
それよりもいま直面している課題とか。あるいは課題以外のよろこびや楽しみが大事だったということだろう。
10回目の誕生日に。
携帯メールを送った。
「誕生日おめでとう、素敵な一年になりますように」確かそんな内容だったと思う。
彼からは。「今年はキミが最初に祝ってくれた人です」と返信がきた。
それはいまでも憶えている。
〝キミ〟ってなによ?と思った。でも〝最初に〟というのが少し嬉しかった。
そんな気分まで憶えている。
11回目。12回目。そして13回目。
彼がいなくなってから3年目。
同学年の彼の年を。だから私は同じだけ追い抜く。
これからも一生、それは続く。
いまでもときどき悲しい。
生きていたらなと思う。
生きていたら。ときどきはいつものバーで。飲んだりしたのかな。
学生の頃。ふられたときはホントに悲しくて。1ヶ月くらいなにも、本当になにも食べられなかった。
最終的に浮上するまで。まる3年はかかった。
あの頃は、こんなに悲しいことはないって思っていたけれど。
それでもいまはわかる。
本当にこの世からいなくなるより。よほどましだったのだということ。
ある日突然。大切なひとがこの世からいなくなる。そんなことがあるという事実。
今年もまた〝今日〟がやってきて。
そうして「誕生日おめでとう」と。それでもやっぱり思う。
13回目。