誤解を恐れずにいうと。敢えて厳しいいい方をすると。
そもそも私は。
私なんて、とか。
どうせ、とかいうことを平気で口にするひとが嫌い。
自分のことをダメだとか不幸というひとが嫌い。
そのセリフって。
謙虚さとは違うから。
そうして言葉というのはとても大切で。
ダメというと本当にダメになってしまうから。
本当はダメじゃなくても。
誰でも自信を失うことってある。こころがめためたになることってある。
でも自分を卑下するひとは一緒にいてもつまらない。
ましてや誰かが得ているいまの立場や境遇を。
あたかも先天的であるかのようにとらまえて。
ただ羨むだけだとしたら。
そこからはなにも生まれない。
たとえば誰かにきれいだねといったとして。
そんなことないよといわれるよりも。
ありがとう嬉しい。といわれるほうが。どれだけ気持ちがいいだろう。
たとえば誰かにやさしいねといったとして。
料理がおいしいね。その服、似合うね。
だって私はそのひとのことをやさしいと思うから。やさしいといっている。
料理が上手と思うから。服が似合うと思うから。
幸せだね、といわれたら。
幸せだよ、といいたい。
自慢ではなく。
それだけ毎日を大切に生きている。その証として。
自分のなにかを自慢に思うことはない。
でも自信は持ったほうがいい。
自分のことを好きなら。それを自信にしたほうがいい。
隠さずに臆することなく。
こういうことをいうと。
強くていいね。
といわれることが時々あるんだけれど。
うまれつき強かったんじゃない。強くなったんだと私は思う。あるいは強くなろうとしていると。
いまだって弱い部分がたくさんある。
それはたぶん私よりも私のまわりにいる親しいひとのほうがずっと知っている。
でも弱いことと自信がないことは違う。
もちろん自信がなくなることだって。いまだってたくさんあるけれど。
だからって毎日ダメだなんて思ったりはしない。
しちゃいけないって思ってる。
だから大丈夫だよと。
私は思う。
いまなにかがあって自信をなくしている何人かの近しいひとたちに。
私はこの思いを届けたいと思う。
そもそもね。
あなたたちはみんな。
ひとりひとりちゃんと素敵なひとなんだから。