大学の先輩が結婚した。
2コ上の代で、独身貴族最後のプリンス、Tさん。
昨晩遅く、Tさんの友人から結婚の報が入り、広報を手伝うことに。
今朝からいくつかのメールと電話をし、そのお役目を果たす。


一息ついたときに。
ふうっと、彼が浮かんだ。
先輩ととても仲が良かった彼のこと。
先輩の結婚を恐らく誰よりも喜ぶであろう、大切な仲間のこと。


そうだ。忘れてた。
彼に連絡してあげないと。


なんの躊躇いもなく。
そう思った。自分が。とても悲しい。


いま私は。午後の仕事場で。
くるりの〝東京〟をヘビイローテーションしている。


「〝東京〟いいよ」と。
大切な仲間であるその彼が薦めてくれたのは。もう数年前のことだ。


〝東京〟は。
田舎者の私には、かなり痛い、相当泣ける曲だった。
彼は大阪から出てきた人だったから。
ああ、こんなことを思いながら頑張ってるんだなと。さらにすごく泣けた。


彼はもうこの世にいないけれど。
この曲を聴くたびに、一緒に過ごした日々を思い出したりもする。


彼の不在のこと。


誰にでも何人か、とても大切な人がいると思う。
特別な人。忘れられない人。
普段は記憶のかなたにあるけれど、
ふとした時に心のすべてを占めてしまう人。


私にとって彼は、そういう人だった。


大学時代のサークルの同期で。
人生のもっとも濃い、感性を育むであろう時代を共に過ごした。
戦友であり理解者であり。そして恋人だった人。
恋人でなくなってから数年の会わない時間を経て。
ここ数年はまた昔と同じ、大切な仲間の一人に戻っていた。そんなひと。


そして私に〝東京〟と中途半端な大阪弁を残していったひと。


一年と少し前。
南の島で、恐らくは波にさらわれ。
彼はそのままいなくなった。
彼はその島のことがとても好きで。
島に行く前に、その素敵な海の話をしていたのだ。
時々一緒に飲んでいた見附のバーで。私に。


私は、だから。
それ以来、大好きな海に行けなくなった。


からだのない葬儀を終えたのは。
去年の若葉の季節のことだ。


今年、一周忌を過ぎて。
私は少しずつ。また海と向き合うようになった。
彼の不在を。海のせいにしちゃいけないと。思えるようになったから。


大学の仲間とはいまでも時々会う。
そして昔の仲間たちは。みんな彼が死んだことを認めていない。
あいつのことだから、どこかで生きてるよと言う。
その気持ちも分かる。とても。


でも私は。
彼は死んだと思う。
この地球のどこかで生きているなんてあり得ない。
彼が死んでいると思えたからこそ。
私は前に進んでいける。
生きていると思ったら、何かを期待してしまうから。


何よりも私は彼から。
本当に大切なことを学んだのだ。
生きるうえで絶対に忘れてはいけない、もっとも重要なこと。


それは。


人生は有限で。
明日、終わってしまうかも知れないということ。
だから毎日を楽しく、ハッピーに生きなければいけない。
そして大切なひとを大切にしなければいけないということ。
最後に誰かに残る記憶が。笑顔であるために。


でももしも万が一。
この先、いつかどこかで彼を見かけたら。その時は。
心配かけたらあかんやん、と。思いっきり言ってやろうと思う。


どこ行ってたん、いままで。
私は東京で、まだ頑張っている。まだ。


もしもどこかで見かけたら。