少し前のことだけれど。
大学の後輩であるTくんが、日記にお盆について書いていた。
彼が厚木にあるという実家で過ごした、お盆の風景のこと。


お盆のはじめには迎え火、お盆の終わりには送り火をたく。
きゅうりや茄子に割り箸刺して、馬に見立ててたりする。
ご近所の家の門先にも、藁を焚いた跡が残っている。


そんな話。


Tくんの実家は、彼の言葉を借りれば〝日本の文化的な行事を必ずやる家〟だそうなのだけれど。
そういう季節の行事ごとを大切にとりおこなう家を、私はとても好もしいと思う。


そして彼はとてもきちんとした男のひとだ。
もちろん友だちに見せる顔と私に見せる顔は違うし、友だちたちとは男の子らしい数々のこともたくさんしているそうだけれど。
でも根底にある揺るがないものや、ひとに対するやさしさや、正当な振る舞いは。
やっぱりそういう家で育ったからなのだなあと。
彼の話を聞いていても思うことが多い。


お盆の風景について。


私の実家がある長野の小さな村では。
迎え盆と送り盆には、それぞれカンバと呼ばれる白樺の樹皮を乾燥させたものを門先で焚き。

ご先祖さまを迎え、そして送り出す。


ご先祖さまが道に迷わないようにと焚く迎え火は。
なるべく早い時間に焚く。
そしてご先祖さまが帰る道を照らすための送り火は。
なるべく遅い時間に焚く。


どうして?と幼い日に聞いた私に。
ご先祖さまには、なるべく長い時間、家にいていただくものなんだよと。
カンバを燃やしながら母が教えてくれた。


そうして。ご先祖さまが帰ってきているお盆の間は。
たくさんの提灯を一晩中灯しておく。


ふだんはしまわれている大きくてきれいな提灯のあかり。

お仏壇の前に鎮座する大きなお皿に盛られた夏の果物。

たゆたう線香のけむり。家々の前の小さな炎。


それが私の、お盆と夏の風景だ。


先日行った西表の島で。
送り盆にあたる夕暮れに、海岸で島に住む友だちと話をしていた。
ガイドブックにも載っていないような、ちいさな、でもとてもきれいな海岸。


まったくひとがいないその海岸について、
こんなにきれいなのにどうして?と聞いたら。


今日は送り盆だから。
島のひとは海には入らないんだよ。


と教えてくれた。

沖縄ではたましいは海に帰ると言い伝えられているからと。


その日はちょうど満月の前日だったから。
海と平行して走る道路を車で走っていると。
海岸へ産卵に向かう大きな蟹が次々と横切っていく。
したがって車は。蟹をよけながら走らないといけない。


夕暮れの道。
海へ急ぐたくさんの蟹たち。


その不思議な光景は。
たましいが海に帰るという送り盆の言い伝えと相俟って
たくさんの想像をもたらして。


私の記憶に残るのだ。


お盆と夏の風景として。