最近仕事が落ち着いてきたため、禁欲生活中にできなかったことを貪るようにおこなっている。
友だちと会うこと、おいしいものを食べること、そして本を読むこと。
ここ2週間で10数冊の本を読んだと思う。
頭の体操的に読むものもあれば、真剣に読むものもある。
そんな怒涛の読書生活のなかで、とても印象深い言葉と出会った。
そして昔はもっと普通に、絵というものは知的な喜びのために観るものではなく、リアルタイムで自分をわくわくさせるために観るものだったんだな、と感じた。ルーブルとかもほんとうはそうなんだな。
よしもとばななさんの「引っこしはつらいよ」という文庫に出てくる一節。
奈良美智さんの展覧会に行ったばななさんが感じたこと、として。
確かにそうだなあと思う。
絵もそして音楽も、文章も。
いまの私をわくわくさせるための動物的ななにかであるべきで、そういう選択をしたほうが幸せなんだろう。
きっと、なんでも。
そして絵や音楽や文章をつくっているひとも恐らく、後世に大作を遺そうという意志よりも、いまのこの押さえがたい、強いあるいはゆるやかな衝動を表現したいという気持ちなのではなかろうかと思う。実際に私は表現者ではないし、そういう親しいひとがいないので、あくまで想像だけれども。
そういう意味では、同時代に生きている偉大なつくり手たちの作品や表現を、リアルタイムでもっと大切にしたり、感じたりしたいなあと思う。
彼らが生きているうちに。
もちろん死んでしまってからも偉大なものは偉大だけれど。
でもリアルタイムで見たり感じたりできるというのは、情熱のほとばしりを感じられるという意味で全然違う。
ほぼ日でたくさんのライブに通っている友人がいるのだけれど。
きっとそういうことなんだろうなと。少しわかったような気がする。