昨晩、フジ子・ヘミングのコンサートで。
ラ・カンパネラを聴いた話 をした。
胸に染み入る音の連続。涙がこみあげてくるような調べ。


ラ・カンパネラのこと。


この曲を聴くたびに。思うたびに。
いつも甦る情景がある。


それはもう20年も前の話。
小学生の高学年の頃に音楽を教えて下さっていた、Mという先生のこと。
恐らくは30代後半だったろうか。
子供の目から見ても情熱的な、そしてとても素敵な女性だった。


M先生は、毎回の音楽の授業が終わる15分間を、生徒のリクエスト・タイムにしていた。私たちが聴きたい曲を、レコードや、先生のピアノ演奏で聴かせてくれる。そんな時間。

生徒たちはみな、お仕着せでないM先生の授業を、最後の15分間を。
とても楽しみにしていた。もちろん私も。


ハチャトゥリアンの剣の舞。
スッペの軽騎兵序曲。
モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク。


生徒たちが思い思いに挙げる楽曲を、レコード棚から探し出す。
音楽室いっぱいに響きわたる音。


その日。


今日は先生がいちばん好きな曲を弾いていいかしら。


そう言ってピアノの前に座り。弾いてくれたのが。

リストのラ・カンパネラだった。

パガニーニの原曲をリストが変奏した名曲。


この曲は大好きなのだけれど。
でもとても難しくて、きちんと弾くことができないの。


そう付け加えながら。


鍵盤を叩きつけるように弾くM先生の横顔。
情熱がほとばしるように。溢れるように。
そしていまにも泣いてしまいそうな表情で。
とてもきれいで。だけれども少し怖い。涙が出る。

そんなふうに思ったことを憶えている。いまでも。


私はピアノを習っていたこともあり、ラ・カンパネラは以前から知っていて。
だからこそ、この曲を。

極めて難易度の高い、鐘という別名のあるこの曲を。
そんなふうに激しく泣きそうな顔で弾くことがわかるような、わからないような気がしていた。


その頃に。先生が離婚されたということを知ったのは。
それからずっと後の話だ。

そしていまではとてもよくわかる、気がする。

先生のその日の。その演奏の意味。


いまも元気でおられるだろうか。
どこかの教室で。
ラ・カンパネラを弾いているのだろうか。

できることならば。悲しい気持ちでなければいいなと思う。
情熱が溢れでる、美しいピアノの調べのままに。