昨日は電脳待ち合わせにより、期せずして楽しい時間を過ごせた。
待ち合わせ。
私のまわりには待ち合わせに遅れるひとが多い。
それも5分10分ではなく、数時間単位で遅れてくるつわものが、一人ならず複数いる。
私は誰かを待っている時間がわりと好きだ。
特に恋人を待つ時間はとても好き。
すぐに会いたいという気持ちにそっとふたをして、いましていることに没頭する。ふりをする。
たとえば読書。たとえば散歩。映画。植物の手入れ。掃除。洗濯。料理。
でも心の片隅は待つことに集中している。
電話が鳴るとドキドキする。あるいは待ち合わせの時間が近づくと。
とは、前にも書いたことだけれど。
ずっと以前、まだ高校生だった頃。
その頃付き合っていたひとを、駅の待合室でずっと待っていたことがあった。
粉雪が舞う2月の寒い日。授業が終わった土曜日の午後。
待合室には、大きなだるまストーブが置いてあって。
でも閑散とした待合室は冷え切っていて、隙間風がとても寒かった。
別の高校を中退して飲食店で働いていたそのひととは、なかなか会う機会もなくて。
だから私はやっと会えるその日、時間が許す限りはずっと待っていようと決めていた。そのひとのことを。
けれど。待てども待てども来ない恋人。
事故?忘れられた?嫌われた?(会ってないのに?だからこそ?)
そんな悪いことばかりたくさんたくさん考えてしまう憂鬱。
もう帰ろうかな。でもあと5分だけ待とう。
そんなことを100回くらい思い悩みながら。
そしてそのひとは。
結局、5時間遅れて待合室にやってきた。
仕事で大きなトラブルがあって、どうしても抜けられなかったと言って。
心からすまなそうに息せききってやってきた恋人を、その表情を。いまでも思い出すことができる。
待合室に一緒に舞い込んできた粉雪のことを。
いまの時代なら。
こんなことって、きっともうない。
ごめん、仕事でトラブった。遅れるから家に帰ってて。
そんなふうなメールか電話がきっとくるだろう。いまなら。
その日の私は。
5時間遅れで登場した恋人を見た瞬間に。
それまでの悪い想像やつらい数時間がすべて消し飛んで。
ああ、やっと会えたのだ。
私はこのひとに本当に会いたかったのだ。
そんなあたたかい気持ちだけが残った。いまでも忘れられない思い出として。
文明の利器の力で実現できることもたくさんあるし、
一方でなくしてしまったこともきっとある。そのことを知っている。
どちらが劣っていてあるいは価値があるかという議論は
nonsenseなことなのだろう。
なぜならば。
あなたに早く会いたいという、その気分は。
いずれにせよ変わらないのだから。