昨日は友人と飲みに行く。
仕事の納期が迫っているものの、出せるだけの仕事をコーディング担当の方に渡ししてしまったので、夜中まで空白ができたのだ。


渋谷駅のガードそばにある、にゅう鳥金というお店。
安くておいしい。こういうお店はとても好き。
待ち合わせ前に「大丈夫かなーナオは耐えられるかなー」とさんざん言われたのでどんな汚い店かと思っていたらとてもきれいでびっくりした。
だから毎日フレンチ食べてるわけじゃないんだってば。
過去何年かにわたって食べたものを、あたかもいま食べているように書いてるだけなんだってば。

まあそれは置いておいて。


彼女とはしょっちゅう会っている。
この前は末弟も交えて誕生日祝いをしたし、その前は明け方まで恵比寿で飲んだ。
それなのにこんなにもたくさん話すことがある。話したいことが。そんなことに気づく。


最近、東大の社会学研究所で希望学という新しい学問のプロジェクト が発足した。
人はどのようにして希望を持ち、そして失うのか。希望は社会とどのような関わりを持つのか。そんなことを学究的に体系化しようという試み。
そのことについて、友人と話す。


漏れ聞いた話では。
そのプロジェクトで希望に関する定量調査を行い。
その中に「希望・未来を色にすると何色ですか」というような項目があるそうだ。


希望の色。未来の色。


私にとっての希望色は。
とてもきれいな薄い明るいブルー。もしくは黄色。


この希望色、定量的には世代の特徴、なんだとか。
たとえば。
私の同世代の希望色は黄色やオレンジ色などの淡い暖色。
少し下の世代はもっと寒色系のブルーになる。
さらに下の世代はグレー。そんなふうに。


希望の色がグレー。
なんということだろう。


希望や未来がグレーだとしたら。そんな未来しか描けないとしたら。
それはやっぱり悲しいことだと思う。
でもグレーを希望色に選ぶようになったのは、彼らの責任ではないのだ。
少なくとも彼らだけの責任では。


ちなみにそのプロジェクトに参加している教授陣の間では「え、希望は薔薇色だろ?」ということなんだそうで。
確かにもうちょっと前の世の中なら。
希望は、未来は、薔薇色だったかもしれない。


子供たちは、生きる世の中を選べない。
だから小さなひとたちの希望色が少しでも明るくなるように。
できることをしないといけないよね。少しでも。


そんなふうに話し合う。
少し青臭いことを。友人と。


危うく終電を逃しそうになり、慌てて渋谷駅に向かう。
スクランブル交差点は。今日も若いひとたちで溢れている。
彼らの希望色はどんなだろう?
そう思いながら歩く、渋谷の夜。