金曜日の午後。
仕事を抜けて友だちと会う。
目黒川沿いにあるcontinental overseas。
旧いアパートを改装し、カフェとパン屋さんとレストランと雑貨店にした、そのカフェの部分が今日のお店。
オープンテラスと水辺にあること、をテーマに選んだ。
桜の季節には、目の前に広がる桜並木がきれい。いまは青々と茂る葉とそよぐ風が心地いい。
その友だちは。
いつも私に大切なことを教えてくれる。惜しみなく。たくさんのことを。
たとえば本当のやさしさについて。
ことばの大切さについて。
素直に生きることについて。
子どもや家族を持つことの尊さ、その喜びについて(友だちには素敵な奥さんとかわいい赤ちゃんがいる。奥さんには会ったことがないけれど、友だちの奥さんなんだから真に素敵なひとに決まっている)。
それらのことを言葉にして伝えてくれることもあれば、
これいいよとすすめてくれる本のなかで出会うなにかだったり、
あるいは当人には自覚なく、けれども私が感じることだったりする。
本当のことを言うと。
私はその友だちがいま少し元気がないような予感がしていて。
それで心配になって会いに行ったのだ。会う約束をしたのだ。
なにをさておいてでも、いま会ったほうがいい。そんな気がしたのだ。
でも。友だちは、自分のことよりも私のことを心配していた。
私の悩み。私の苦しみ。私の怒り。私の悲しみ。
そういう私のこころの声を伝え聞いて。
本当に友だちに会う必要があったのは、だからむしろ私の方だ。
夏の風が広がるそのカフェのテラスで。
いろいろな話をした後に、ようやくそこに辿り着く。
そして友だちはいう。
なんやー、そうなんかぁ。
そんなん答えは一コしかないわ。
言いながら豪快に笑う。思い切り笑い飛ばしてくれる。
私の未練。私の迷い。私の何か。私の。
その豪快な笑いに私はどんなにか助けられる。
繊細さに縁取られた大きな笑顔に。
そして私は気づくのだ。一コしかないというその答えの大切さと。
なにをさしおいてでも会ったほうが良かった、その事実に。
仕事に戻る道すがら。
随分とすっきりした気分になりながら。
これからはじまる夏のことを思う。
楽しくしたい、この夏のことを。