同期入社の友人たちと食事に行く。
西麻布の地中海通りにある「き」という和食屋さん。
品書きから想像される料理と、出てくるプレートが微妙にずれていて。そのずれ加減が不思議なお店。
果実酒がとてもおいしい。
彼女たちとは、会社に入る前の、内定式からの付き合いになる。
私の会社は、男性も女性もとても元気で華やかな人たちが多い。
そしてそういうものが本質的に苦手な私は、だから内定式とその後の1次会の空気にすぐに疲れてしまい、用もないのに用があるからと帰ることにした。
そのとき、同じように帰るという女の子たちが数人いて。
実はみんな私と同じようにその場を抜け出したかっただけだったと、駅までの道すがらわかり、だから結局、その抜け出し組でお茶とケーキを楽しんで帰った。プランタンの横にあるカフェで。
それが、彼女たちとの出会いになった。
いまでもよく憶えている。まだみんな学生だった頃。
以来、一緒に旅行をしたり、おいしいものを食べに行ったり。
仕事や生活や、それにまつわる喜びや悩みを、
笑ったり、泣いたり、ともに悩んだりして過ごしてきた。
そんな仲間たち。得がたい大切な友達。
2人は会社を辞めそれぞれフリーで仕事をし、もうひとりと私がまだ会社に残っている。
ひとりは結婚し、あと2人と私はまだ予定もない(よね)。
会社づとめとフリーの違い、青色申告と白色申告のこと(私は赤色申告と言ってしまったのだけれど)、岩盤浴、ニートと希望学、引越しのこと、結晶物語のこと。
たくさんの会話のなかで。
私は彼女たちからいろいろなものをもらう。その夜もまた。
あたたかい気持ち。頑張る力。これからを考え、前に進む意欲。自分を認めるということ。自然に生きるということ。
そんなようなもの。そんなような糸口。
それは彼女たちが、私の良さもだめさもわかった上で、きちんと友だちとして私を認め、愛し、良い方向に向かわせようとしてくれているからなんだと思う。
その夜、友だちが持っていた本の中に。
私に必要なものを〝受け容れたら手放すこと〟だと表現してあって。
その言葉は、ものすごくすとんと私の胸に落ちた。
そうだよね。
すべてに手をかけ、目をかけすぎていると。
結局自分も相手も縛ってしまう。苦しくなる。苦しくさせてしまう。
まさにいまの私はがんじがらめだ。がんじがらめで動けない。
受け容れたら手放すこと。
私はその言葉を、小さくメモにとる。
そんな言葉を教えてくれる友だちに感謝しながら。