職人の世界には、ほかのカテゴリーよりも濃い一定のヒエラルキーが存在する。
テキストによるナレッジの共有とは遠い、繊細で力強い伝承の世界なればこその。
フレンチの世界も同じこと。
師匠に就いて、からだで憶える。舌で憶える。
その中で弟子と呼ばれるたちは、自分らしさや、自分らしい料理というものを見つけ、修得し、磨きをかけていく。
ル・マノワール・ダスティンの五十嵐さん。
ル・ブルギニオン
の菊池さんをはじめ、数々の素晴らしいシェフたちを輩出したひと。
五十嵐さんは背筋が伸びているひとだ。
きちんとした料理であること。きちんとしたレストランであること。自分らしいこと。
それをひとつひとつ大切にし、実践している。
食事に行ったときに挨拶を交わすくらいだから、正確なことはわからない。
でもこのレストランに行くと、五十嵐さんを見ると。
そんな気概や誇りのようなものを感じる。そこかしこに。
五十嵐さんのその姿勢は、だからこそ弟子たちにもきちんと引き継がれていて。
彼の弟子だったひとたちのお店に行くとき。
私はそこかしこに、五十嵐さんの気配を感じることができる。料理にも、それ以外にも。
そして弟子たちは、見事に五十嵐さんを昇華させた独自の料理を、レストランを作り出している。
たとえばル・ブルギニオンの人参とウニのコンソメのジュレ。
これはもともとは、そしていまも、師匠である五十嵐さんのスペシャリテ。
だけれども。
菊池さんのジュレと五十嵐さんのジュレ。
どちらが好きかと聞かれれば、私は菊池さんのほうと答えるだろう。
五十嵐さんのジュレを昇華した、菊池さんの世界。
それを私はとても好きだと思う。
あくまでも好みの問題としてではあるけれど。
そして好みとして、師匠より弟子を好むひとが現れたとき。
それが師匠を超える日のはじまり、なのかもしれない。
ただいつの日も間違いなく言えるのは。
東京のフレンチレストラン、その潮流のひとつをつくり上げた偉大で貴重なひと。
それが、五十嵐さんだということ。
#ル・マノワール・ダスティン[銀座]