グランメゾンはあまり好きではない。
料理、サービス、食器、調度品、建物…。
それらレストランをつくる要素は確かに素晴らしいけれど
あくまで総体としての素晴らしさ。
それこそがグランメゾンの魅力であるという人ももちろんいるだろう。
でも私はグランメゾンの豪奢な完璧さよりも、
街のレストランの不完全さ、あるいはささやかな完全さが好きだ。
それにそもそもこの値段を出すなら、
これくらいのパフォーマンスがあって当然でしょ、と
穿った目で見てしまうのだ。どうしても。
その料理に、そのサービスに、その時間に、3万や5万出すのなら。
街のレストランに10回行ったほうがいい。
おいしいラーメンを30杯食べたほうがいい。とかね。
ただ一店、ロオジエを除いては。
ロオジエは、行ってよかったと思えるレストラン。
幸福な気分を料理と一緒にサーブしてくれる、貴重なお店。
たとえばこの内装で本当にいいのかとか
サービスが普通だとか思うときもあるけれど
要所要所をきっちりと締めてくる。
ロオジエ以上のグランメゾンがあるのなら
行ってみてもいいかなと思う。
まあもちろんロオジエだって何度も行ってる訳じゃないんだけれど。
フランスで、とても有名なシェフがつくる二桁万円の
フレンチのコースを食べたという知人がいる。かなり羨ましい話。
その料理は、プレートの上に築かれた新しい世界だった、
というようなことをおっしゃっていた。
料理というものに対する観念が変わった、とも。
私も一度そんな経験をしてみたいものだけれど。
でもそれって自腹を切ってするものじゃないのかも、と思う。
だって自腹だったら、きっとラーメンの杯数を暗算しちゃうもの。
#レストラン ロオジエ[銀座]
料理、サービス、食器、調度品、建物…。
それらレストランをつくる要素は確かに素晴らしいけれど
あくまで総体としての素晴らしさ。
それこそがグランメゾンの魅力であるという人ももちろんいるだろう。
でも私はグランメゾンの豪奢な完璧さよりも、
街のレストランの不完全さ、あるいはささやかな完全さが好きだ。
それにそもそもこの値段を出すなら、
これくらいのパフォーマンスがあって当然でしょ、と
穿った目で見てしまうのだ。どうしても。
その料理に、そのサービスに、その時間に、3万や5万出すのなら。
街のレストランに10回行ったほうがいい。
おいしいラーメンを30杯食べたほうがいい。とかね。
ただ一店、ロオジエを除いては。
ロオジエは、行ってよかったと思えるレストラン。
幸福な気分を料理と一緒にサーブしてくれる、貴重なお店。
たとえばこの内装で本当にいいのかとか
サービスが普通だとか思うときもあるけれど
要所要所をきっちりと締めてくる。
ロオジエ以上のグランメゾンがあるのなら
行ってみてもいいかなと思う。
まあもちろんロオジエだって何度も行ってる訳じゃないんだけれど。
フランスで、とても有名なシェフがつくる二桁万円の
フレンチのコースを食べたという知人がいる。かなり羨ましい話。
その料理は、プレートの上に築かれた新しい世界だった、
というようなことをおっしゃっていた。
料理というものに対する観念が変わった、とも。
私も一度そんな経験をしてみたいものだけれど。
でもそれって自腹を切ってするものじゃないのかも、と思う。
だって自腹だったら、きっとラーメンの杯数を暗算しちゃうもの。
#レストラン ロオジエ[銀座]