好きな町はいくつかあるけれど、
わけても京都は特別に好きな町である。
兄が住んでいることもあり、学生の頃から一年に一度は必ず訪れている。
兄の家に寄ることもあれば、安宿を使ったり、時には泊まってみたい宿を取ってみたりする。
一度は泊まってみたい宿。
その筆頭、俵屋旅館に初めてお邪魔したのは、もう7~8年前になるだろうか。
ちょうど今頃、吉野に桜を見に行ったときのこと。
幼い頃はとても窮屈に感じていたけれど、
年を重ねるごとに大切さがわかることがある。
たとえば伝統や格式を重んじること。
京都麩屋町にあるいわずと知れたこの名旅館は、
その大切さをしみじみと感じさせる場所である。
清廉と打ち水がされた玄関口。
敷居を跨ぐと広がる清々しい迎えの間。
四季折々の表情を見せる坪庭。
季節を詠む掛け軸、活花、床の間の設え。
この宿にあるすべてが、和の伝統と格式、その様式美をきちんと表現している。
でも重苦しくも堅苦しくもない。
それはひとえにこの宿を貫くもてなしの精神に因ると思う。
そもそも、いまサービスをされているのだと受け手に感じさせないのが
サービスの本質であると私は思うのだけれど、
俵屋にはまさしくその精神が根付いているのだ。しっかりと。
たとえばこの宿で、Aという新聞を求めたとしよう。
すると次に訪れる時には、新聞はAですか、と部屋係が訊ねる。
Bというビールを夕食に求めたとしよう。
すると翌年には、Bでよろしいですか、となるのだ。
ほんの短い滞在なのに、自分の家にいるような寛ぎが広がる。
さりげなくあたたかいおもてなしの数々。
そして言うまでもないことだけれど。
食事はもちろん素晴らしい。
季節の器に盛られた旬の食材。どれも必然性の連続。
結して華美ではないのだが、美しい料理たち。
先附から最後の水物まで、目でも舌でもすみずみまで味わいたい。
朝の食事に供される湯豆腐もまたいい。
付け加えるならば、ここの寝具の寝心地。
それはもう比類を見ない素晴らしさ。
まさに一度は泊まってみたい、泊まって良かった宿。
#俵屋旅館[京都]