今回の月読神社参拝には、別の目的もありました。


樹齢700年を越える椎の木「スダジイ」に

逢いに行く事


そして、この所の月神さまからのメッセージを

受け取っている最中に姿を現す 月龍を探す事



これが月読神社の御神木の「スダジイ」






圧巻です


きっと何度も折れては再生を繰り返し生きてきたのでしょう。


老木なのだろうけど、鋼の強さみたいなものを

纏っていて 幹の艶や葉の勢いは正に神自身で

あろう事を物語っていました。



そして


ここに


ひと柱の龍が居りました


長い時を「スダジイ」とともに月読尊それから
月神達、この地、この場所、この地の人々を
見守りつづけてきたであろう龍神

いつしか私は 「スダジイ」とこの龍神に
話しかけていました。

たくさんの事を・・

もちろん話は一方通行なのだけれど

時おり木の上の方からパラパラと葉や木の皮?が落ちてきて 応えてくれているようでした。



そうそう
1枚目の写真にも龍さまが巻きついているのが
感じられます。

おそらく二柱の龍

この子達は普段は別の場所に居るのかな?

三柱の龍神


逢えたね😊



『 天(月)と地を結び 陰と陽を繋ぐ


途切れないように


守り、力をつくす龍神


この神社の社も、スダジイも永遠に存在する事は

出来ない


けれど滅があるから誕生があり


欠けがあるから、満ちがある


陰と陽


手放す時は今


己の魂を見つめよ 深く深く見つめて


見つめた先の


己の魂を信じよ


心のままに


踏み出す時は今 ・・』









配達のトラックが通って、ちょっと騒がしくなりました スミマセン😅




あらためて😁月読神社について


創建は天慶8年(945年)二十三夜尊を御本尊とする寺院で「樋の沢の三夜さま」と呼ばれていました。


月読尊は神主、岡野氏の氏神で「二十三夜尊月読大勢至菩薩」と仏号を捧げ祀ったものと伝わっています。

農業や産業の守護神として信仰を集めていたが神仏分離令により、神仏習合社寺から神社として再出発します。


御本尊も「勢至菩薩と月読尊」から御祭神「月読尊」へと変わりました。

現在の社殿は天保2年(1831年)の造営で200年近く前のものです風雨や震災により、かなり傷みが目立っていてこのまま手を加えなければ いずれ朽ちてしまう箇所も多く見受けられました


瓦の重みや支え木の老朽化

長年の蓄積からか、屋根や全体的に少し傾きと言うか、歪みがお社に見て取れる気がかする〰️ガーン


それでも、尚且つ独特でパワフルな神気を纏い放っているのは、


二十三夜講を結び陰暦の毎月二十三日に集まって

月の出と共に家内安全を祈願した月待講をはじめとする地域の人々の想いが現在も受け継がれ神々の場を保つ役割を担っているのでしょう


私が訪れたのは24日境内には前日23日にお焚きあげを行った跡が残されていました。



滞在中私とタイミングを同じくしてお一人だけ手を合わせに来た方がいました。


バイクに乗ったお巡りさん🤪


私の後を追うようにバイクを止め鳥居をくぐってきたもんだから一瞬ギョッとしてしまいました。(お巡りさんと言うより駐在さん?)


わ、わたし不審者じゃないよ〰️悪い事なんかしないから〰️


もう、ドキドキしちゃいましたよ😵


ジャンパーのPOLICEの文字はヤバすぎですわ

でもね


パトロールの時わざわざ神社に寄って手を合わせて行くその心意気 素敵過ぎます



色々な面で、この月読神社は地域に根づき大切にされているんだなぁと感じた一時でした。



月読尊(月読命)が単神で御祭神である珍しい神社さんです


石灯籠は震災(東日本?)の時に倒れ無事だった部分で補修されたようですが、少々不確か😅






「 祓殿 」⬇️

額堂や額殿での記載が多いのですが
磐境(いわさか)、結界としての意味を持つ
列石で、祓殿を護る結界が施されているので
祓殿で、間違いないと思われます

ただし、内部の横木には額や絵馬を据えるための
鉤(かぎ)・額受が数ヶ所残っていたのと
何か書いてあるけど老化して全く読めない板状の
ものが数枚あったので 額堂として使用されていた
時期もあったのかもしれません



ちなみに、右回りに歩きながら内部を見てみました
が、全くエネルギー反応がありませんでした

もう、機能していないのか?
やはり左回り つまり浄化のエネルギーにのみ
特化した建物なのか?

左回りも試せば良かった〰️
何で肝心な事しなかったんだろうねぇ?えーん

アホじゃ〰️わたし無気力


1時間以上長居してしまったので
お礼を言って 600メートル離れた三日月神社へ
向かいます