




さてさて
この日の お写ゃんぽは「庚申塔」シリーズ
歴史ロマン編で書いてみたいと思います。


よく見かけますよね 庚申塔
特に「青面金剛」の文字🙄



今まで気にした事無かったのだけれど、
(周りに存在しすぎてけっこうスルーしてました
)
あと、ちょっと近寄っちゃいけないNGな石塔も
有るにはあるんで😥
なんですが・・・
昨日はやけに引っ掛かって調べてみました
今回ちょっと長いので、
ご興味あれば読んでみて下さいね🙇
天形星神社さんに奉納されたり
集落、街道筋のものが後世に集められた石塔からは
「文化年間」 1804~1818年
「文政年間」 1818~1831年
「天保年間」 1831~1845年
「文久年間」 1861~1864年
の文字が読み取れました。
天形星神社の創建は、
1662年 寛文2年とありますが戦国期には、
既に地名が記載されているようで実際の創建は、
もっと古いのかもしれません
庚申信仰自体が江戸中期から後期に
盛んだったのでしょうね
◎「青面金剛」とは?
庚申信仰のご本尊で、六本の手を持ち頭に蛇を巻きつけた姿をしています。
青面金剛明王とも呼ばれているようです。
三尸(さんし)を押さえる神とされる
◎ 三尸とは?
人の体の中には三尸蟲(上尸清姑、中尸白姑、下尸血姑)という虫が三匹住んでいるという。
上尸蟲は人の頭に住み、目を悪くし、顔の皺をつくり、髪の毛を白くするという。
中尸蟲は腸の中に住み、五臓六腑を害し飲食を好ませるという。
下尸蟲は足に住み、精を悩ますとされる。
更にこの三尸蟲は、六十日に一回訪れる庚申の日の夜、宿主の就寝の間に体を抜け出し、天帝にその人間の悪行を報告するという。
天帝は司命道人に命じて、その人間の罪科に応じて命を縮めるという。
大なる罪には紀を奪い、少なる罪には算を奪うという。算は三日、紀は三百日である。
紀を失い、算が無くなったとき、その人間の命は尽きるというのである。
そのため、庚申の夜には、三尸蟲の昇天を阻むため、念仏行道や詠歌や物語等庚申会の行事を、夜を徹して行う。
これが庚申信仰であるそうな![]()
今回、調べてみて私も初めて知りました😅
👆写真の石彫像は、胸の前で合掌してますが
この合掌スタイルは 割りと古いスタイルのもの
らしいです。
この石塔には年号等の記載が無かったので
不明ですが、
石の感じからも単独で祀られている事からも
一番古いものなのかもしれませんね
庚申塔上部の紋様も様々
雲と太陽?が定番なのかな?
どうみてもカタツムリ🐌にしかみえないんだけど???な紋様も(笑)
関連あるのかな?調べてみたけど
解らなかったです。
神道、仏教、道教などが混在していた時代
それに民間信仰がプラスされて…
歴史探訪してみると面白いし 視点も変わります。
凝り性魂に火がつきました❗😂
以前伺った地域の香取神社さんで
庚申塔、道祖神がたくさん集められ奉られて
いる所があるので 近々行ってリサーチして
こようかな?
最後に
境内を歩いていてピシッと何かを感じた場所からの
ショットを貼りますね



P.S.
千葉なんで成田山詣でも盛んです
ここだけのお話
同じ千葉でも今でも源氏方と平家方に別れていて
むやみに将門さんがね~、成田山がね〰️の話題に
触れるのは止めておいた方が無難です
一歩間違うと・・
WW





