武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり。
私はひとの為だけに生き、自分を殺して生かされている。
これ、メンヘラとか、生きていて辛いとか、
絶望感とかの話では無いのだけど、
技術力と体力勝負の現場主義の私、
45歳くらいで死にたい願望がある。
この願望は20歳位から切実で寧ろ今では夢になりつつある。
ビンビンコロリと言う希望ね。
老いて行けば収入は低くなるし、
男に一切頼らず女で一人で稼ぎ築いてきた家族も、
自立出来ている想定で考えている。【未来予測】
二十歳を過ぎれば母親なんか要らないのでは、
と最近凄く思う。
息子達が結婚すれば、息子達は嫁のもの。
私は嫁に宝を全て差し上げて、一切口出しはしたくない。
老いては子に従え。
姑は本来1番嫁を大切にするべき。
世継ぎを産むのは嫁であり、姑では無い。
何度も言うけど自殺願望とか希死念慮じゃない。
稼げなくなった私は無価値だから、
家族や恋人に迷惑をかける前に死にたいと言う願望。
老いが怖いのもあるけど、
早死にをしたいのは若い頃から周囲は周知している。
子供も産んだ。世襲任務は遂行出来る。
プロジェクトも成功させた。弟子も独り立ち出来る。
人生最後に最愛の恋人も出来た。心から愛してる。
老いた先に見えるものが絶望。
息子達に世話になりたくないのである。
江戸時代なら自決は名誉の死だった。
幸せを追求する幸福追求権があるなら、
自ら人生を終わらせる尊厳死の権利もあって良いと思う。
寝たきりになったり、呆けたりしてまで
私は生きてゆきたく無い。
同じ考えの人いるかな。
私は三浦春馬や神田沙也加が羨ましい。
華やかに生き、花のように散る。
その苦悩は本人にしか解らない。