内藤飛鳥 生い立ち | Sheila∞River 最果てへの旅路を君の夢とともに・・・。

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内藤 飛鳥

【内藤家 正式申請名称】霊巌寺との繋がり。

家督相続家系だからこそ言える 

【三年子なき(石女)は去れ。】

藤原北家魚名流秀郷派内藤氏族 正式名

天児屋根命二百十六世大冠鎌足十代
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藤原秀郷後胤豊後四郎九衛門家清
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男中興之袒 内藤右京 従五位下 内藤義清系

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内藤子爵家十九世内藤飛鳥


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内藤家は、六家あります。


※大織冠
たいしょくかん

古代冠位の一つ。
大化3 (647) 年に制定された七色十三階冠位制の最高位。
天智8 (669) 年中臣鎌足 (→藤原鎌足 ) が死の前日内大臣となり、
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藤原姓を賜わると同時に大織冠を授けられたのが唯一の例。

冠位の制は冠の質、色、形などによって位階を表わしています。


❇︎内藤氏の発祥❇︎

藤原秀郷の子千時の四世の孫である頼俊の子行俊が、
内舎人であったことから内藤検校と呼ばれ、その後内藤を称するようになりました。

戦国時代から安土桃山時代にかけて、内藤清長・内藤正成・内藤家長・内藤信成らが徳川家康に仕え活躍し、その功績により江戸幕府の成立後は数家に分かれ、

信濃高遠藩、陸奥湯長谷藩、三河挙母藩、日向延岡藩、信濃岩村田藩、越後村上藩
地で譜代大名として隆盛。

明治維新時には大名内藤家は全部で6家あり、維新後すべて子爵に列しています。

その内の三河豪族が子爵家五家になりました。

内藤清長
内藤正成
内藤信成
内藤家長
内藤政長

御家断絶は二家。

※浅野内匠頭に嫁に行った内藤家は滅びました。

※代々武田氏に仕えたとされた内藤虎資が守護武田信虎に粛清され、一時断絶しています。

1. 丹波国の守護代。細川氏に仕えた藤原氏秀郷流。
2. 長門国の守護代。大内氏に仕えた藤原氏秀郷流。
3. 三河国の内藤氏。松平氏に仕えた譜代大名。藤原氏秀郷流。
4. 甲斐国の国人。武田氏に仕えた藤原氏秀郷流。
5. 相模国の国人。津久井城主。
6. 若狭の国人。若狭武田氏。  

前回記事にした毛利輝元の母が内藤氏の出身ですが、2.の周防長門系内藤家です。
その養子元娘を大内義隆の側室とし、安芸国人の当主毛利隆元に嫁がせ、縁戚関係を強化しています。

※武勲が顕著なのがこの2名。


❇︎徳川十六神将軍 猛将内藤正成❇︎↑
                      vs
❇︎武田四天王 猛将内藤昌豊❇︎↓

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可哀想に、内藤豪族同士が命懸けで総大将の護衛として戦っているのです。
内藤飛鳥の先祖が武田家に殺られ、串刺しになっている絵も残っています。

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内藤正成

私の父上、祖父、曾祖父と、江戸時代迄遠江国新所東方村 (現静岡県湖西市新所)の八幡宮神社で神職を襲職する家です。

内藤飛鳥の父上の実家【内藤家本家】も、湖西市新所にあります。
父上の兄上【叔父】から、
飛鳥の従兄弟が旗本内藤家18代目を世襲しています。
譜代大名、旗本時代に受け継いだ5700石の名残から、
曾祖父は浜名湖の一部を所有。浜松市の土地を開拓。
祖父は尋常小学校や、妙心寺の建立に多額の私財を寄付しています。

浜松市の土地開拓時に静岡の西側を制定していたと祖母が死ぬ前に聞いています。

そんな祖母は歌人で、叔母は三味線の師範。叔父も剣道の師範。

先祖のルーツを調べていたら、とうとう古事記の神話まで辿り着きました。

私の家の筆頭は平将門の首を刎ねた藤原秀郷とばかり思っていましたが、
藤原秀郷【中臣鎌足十代目】は遡れば中臣(藤原家)鎌足です。

中臣鎌足を遡れば、天児屋根命【二十六世】が初代です。
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譜代大名家 三河豪族の開祖が内藤義清【岡崎五人衆】

【新宿御苑内藤清成、館山城主内藤政長、駿府城主内藤信成、徳川十六神将内藤正成】
内藤信成

※同一祖先。

私、飛鳥の世代は初代から数えて19世になります。
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初代天児屋根命
二百十六世 藤原鎌足
十代目藤原秀郷
十九代目 内藤飛鳥

※此れは初公開です。自分の家の話は差し出がましいので、
緋宮家元にも伝えていませんでした。

内藤 政晴(ないとう まさはる)は、
陸奥泉藩の初代藩主。
挙母藩内藤家初代。
 
※実は私の直系先祖が、【武士の食卓】でいつもお世話になっている
霊巌寺様に眠っているのです。
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霊巌寺で写真を撮ったらお化けが映ります。【飛鳥だけ】

戒名
光台院殿長誉月秀了山大居士
墓所
東京都江東区白河の霊巌寺
官位
従五位下、兵部少輔

物凄く長いですが、内藤家古文書の正式名は天児屋根命二十六世から
書いています。

天児屋根命から
藤原鎌足、そしてその直系存続の藤原秀郷も全て書かないといけないのです。

天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、日本神話に登場する神です。

神社の祭神としては天児屋根命とも表記されています。
春日権現(かすがごんげん)、春日大明神とも呼びます。

居々登魂命(こごとむすび)の子で、
妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。
天押雲命の父。

日本神話の神。中臣(なかとみ)・藤原氏の遠祖。

天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき、祝詞(のりと)を奏してその出現を請いました。
これより中臣氏は斎部(いんべ)氏とともに朝廷の祭祀(さいし)職を世襲しました。

岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出したそうです。
うっとりと聞き惚れて惚れて、ついに天の岩戸を開けてしまったという美声の持ち主。 

天下一品の祝詞奏者 天児屋根命。内藤家の開祖です。

天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、古事記には中臣連の祖となったと書いてあります。 
名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、
託宣の神の居所のことを表します。 

中臣連の祖神であることから、中臣鎌足を祖とする藤原氏の氏神として信仰があります。

※祝詞の神、出世の神ともされています。 

中臣神社(京都市山科区)、枚岡神社(大阪府東大阪市)、春日大社(奈良県奈良市)、吉田神社(京都市左京区)などに祀られています。
また、全国の大鳥神社に祀られる「大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)」は
天児屋命と同神とされることがあります。

※内藤飛鳥のルーツを平安時代から紐解きます。

今日はそんな、色々書く文字や仕来りに雁字搦めの
武家に産まれた姫の輿入れについて。

大名家同士の結婚は本人の意向は無しで決まります。

当人が自分の結婚を知るのは、双方の家臣が相談し、全部決まってからです。

裏事情的な話では、内藤家5代目政和の妹・愛姫の場合、

持参金1000両(約6000万円)+毎年附米(仕送り)200俵(約1200万円相当)という条件で成婚しました。

縁組が調うと、
結納(男→女)

合礼(女→男:お返しのプレゼント)

婚礼道具搬入(女→男:3日がかり)

輿入れ(内藤家の場合行列219人)

家臣は輿入れルートの調査、コース設定などまで事細かく決めていき、
記録します。

❇︎祝言当日❇︎

(夜スタート)

合杯(いわゆる三々九度)

御色直(着物・飾りつけチェンジ)

饗応(=宴会)

夫側親族との顔合わせ(夫と初対面)

部屋入り(部屋に入った新郎新婦に家臣からお祝いの品の贈呈)

翌日上級家臣たちとの御目見得、終了。

※姫様にお世継ぎが誕生すればパーフェクト。

将軍の娘=姫君様(ひめぎみさま)
大名の娘=姫様(ひめさま)
旗本の娘=姫様(ひいさま)
公家の娘=君様(ぎみさま)
皇族の娘=宮様(みやさま)

内藤飛鳥の家系は譜代大名なので、
姫様と呼ばれていたそうです。

幸い内藤家の女史は安産型なので世継ぎを産んでいますが、
産めなかった嫁は実家に返されたそうです。

【三年子無きは去れ】

今では女性蔑視の差別ですが、
私も女性は子供を産んでやっと一人前だと考えています。
不道徳な考え方ですが、息子が子供を産めない女を嫁に選ぶとしたら、
私は考えてしまいます。

【事実、叔父は家督相続である直系長男の従兄弟の嫁と離婚させました】

そもそも永遠の愛を信じていない私は、
惚れた腫れたで一家断絶になる嫁であれば要りません。

ただ、息子が将来幸せであればそれで良いですが、
もし正妻が子供を産めない場合、
愛人が子供を授かったとしたら、私は恐らく側室の立場の愛人を姑として認定します。

私が再婚を完全に諦めている理由も、
もし私が第二の人生を選んだとしても、
此れから愛するであろう未来の旦那様の子供は産めません。

愛情分散しない様に、実子と異父兄弟の確執を避ける為に
妊娠し易い私は避妊手術をしたのです。

此れは相当な覚悟です。自ら女性の勲章を切除した訳ですから。

※私は恐らく、女として産まれながら、
男として生きているのです。

幸い若くて美しい小姓達から寵愛を受け、此れは此れで私は幸せな日常も得ています。

【永遠の愛】ではく、儚く散る【有限の恋】だからこそ、私は幸せなのかもしれません。

私は愛する人間の足枷には絶対になりたくない。

子供を産めなくなった連れ子持ちの女は、客観視すると不良債権でしかありません。


つまり、惚れても呑み込み、圧し殺すのも、相手の未来を考慮しての所以です。

※私は私自身の立場をよく理解しているのです。

此れは偏見ではなく、姫様の仕事は子供を産む事。
つまり大名家に嫁ぐ女が子供を産めないのは戦力外なのです。

石女、又は子供を産む意思が無い嫁を、【従兄弟の初婚相手】
叔父は離婚させて、従兄弟は新しい嫁を連れて来ました。
新しい嫁は懐妊し、内藤家本家は家督も安泰。
私の甥にあたる子が内藤家20代目です。

父上の母親、つまり、飛鳥の祖母は後妻です。
先妻が二人娘を産んで亡くなり、
御家断絶を避ける為に菅原家から嫁に来たのが飛鳥の祖母です。
また親戚の醍醐家には子は無く、内藤家から養子に出しました。

私の内藤家直系の長男は、
代々【政】が頭に付きます。

父上は三男なので、【政】は付かなく、
次男には【志】
三男には【士】
が名前に付きます。

【政】総ての物事を筋道を立てて整え。
【志】こころざしを持つ。
【士】武士であれ。

内藤三銃士です。

曾曾祖父が幕府の為に建立した寺院の僧侶が名付けたそうです。
明治に入り、曾祖父が観世菩薩を寄付。
昭和に入り、後妻である祖母が先妻の為に地蔵菩薩を寄付。

後妻として嫁に入った飛鳥の父上の生母である祖母は、
先妻の子を我が子の様に父上と同様に
平等の愛情を注いでいた人格者であったと聞いています。

事実、異父姉妹である叔母の娘の従兄弟は祖母を非常に慕っていました。

分家ではありますが、総領娘の飛鳥は、婿養子を貰うことを幼少から教育されていました。

大恋愛に堕ちた私は、当時の主人と駆け落ち。
家督と家族を棄て、愛に生きました。
両親を泣かせました。親不孝でした。

息子の種馬である主人と離れた今、
長男と次男を授かり、私が戸籍上世帯主として、
事実上息子が内藤家分家を継ぐシステムが出来ました。

父上は泣いて喜びました。

この平成の世、なんて酷いと思われがちですが、

未だに頭が戦国時代の、私の様な家系も存在するのです。

大人になって気付いた事。

血縁の志に引き戻されるのも、総て先祖の思し召しなのです。